b1140から1142.
瑞相御書(ずいそう ごしょ).
日蓮大 聖人 54歳御作.

 

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ずいそう ごしょ.
瑞相 御書.

けんじ がんねん 54さい おんさく.
建治 元年 五十四歳 御作.

あたう しじょうきんご.
与 四条金吾.

それ てんぺんは しゅにんを おどろかし ちようは しょにんを うごかす.
夫れ 天変は 衆人を おどろかし 地夭は 諸人を うごかす、.

ほとけ ほけきょうを とかんとし たまう とき 5ずい 6ずいを げんじ たまう.
仏 法華経を とかんとし 給う 時 五瑞 六瑞を げんじ 給う、.

その なかに ちどうずいと もうすは だいち 6しゅに しんどうす.
其の 中に 地動瑞と 申すは 大地 六種に 震動す.

6しゅと もうすは てんだいだいし もんぐの 3に しゃくして いわく.
六種と 申すは 天台大師 文句の 三に 釈して 云く.

「とうゆさいもつとは とうほうは せい きもを つかさどる きもは まなこを つかさどる.
「東涌西没とは 東方は 青・ 肝を 主どる 肝は 眼を 主どる.

さいほうは はく はいを つかさどる はいは はなを つかさどる.
西方は 白・ 肺を 主どる 肺は 鼻を 主どる.

これ げんこんの くどく しょうじて びこんの ぼんのう たがいに めっするを ひょうする なり.
此れ 眼根の 功徳 生じて 鼻根の 煩悩 互に 滅するを 表する なり.

びこんの くどく しょうじて まなこの なかの ぼんのう たがいに めっす.
鼻根の 功徳 生じて 眼の 中の 煩悩 互に 滅す・.

よほうの ゆもつして よこんの しょうめつを ひょうするも またまた」うんぬん、.
余方の 涌没して 余根の 生滅を 表するも 亦復」云云、.

みょうらくだいし これを うけて いわく.
妙楽大師 之を 承けて 云く.

「ひょうこんと いうは げんび すでに とうざいを あらわす.
「表根と 言うは 眼鼻 已に 東西を 表す.

にぜつ りとして なんぼくに たいす.
耳舌 理として 南北に 対す・.

ちゅうおうは こころ なり しほうは み なり み しこんを ぐす.
中央は 心 なり 四方は 身 なり 身 四根を 具す.

こころ あまねく 4を えんす ゆえに こころを もって みに たいして ゆもつを なす」うんぬん、.
心 あまねく 四を 縁す 故に 心を 以て 身に 対して 涌没を 為す」云云、.

それ じっぽうは えほう なり しゅじょうは しょうほう なり.
夫 十方は 依報 なり・ 衆生は 正報 なり.

たとえば えほうは かげの ごとし しょうほうは たいの ごとし.
譬へば 依報は 影の ごとし 正報は 体の ごとし・.

み なくば かげなし しょうほうなくば えほう なし.
身 なくば 影なし 正報 なくば 依報 なし・.

また しょうほう をば えほうを もって これを つくる.
又 正報 をば 依報を もつて 此れを つくる、.

げんこん をば とうほうを もって これを つくる.
眼根 をば 東方を もつて・ これを つくる、.

したは なんぽう はなは さいほう みみは ほっぽう みは しほう こころは ちゅうおう とう.
舌は 南方・ 鼻は 西方・ 耳は 北方・ 身は 四方・ 心は 中央 等.

これを もって しんぬべし.
これを・ もつて・ しんぬべし、.

かるが ゆえに しゅじょうの ごこん やぶれんと せば しほう ちゅうおう おどろうべし.
かるが ゆへに 衆生の 五根 やぶれんと せば 四方 中央 をどろうべし・.

されば こくど やぶれんと する しるしには.
されば 国土 やぶれんと・ する しるしには・.

まず やま くずれ そうもく かれ こうが つくる しるし あり.
まづ 山 くづれ 草木 かれ 江河 つくる しるし あり.

ひとの げんに とう きょうそう すれば てんぺん あり ひとの こころを うごかせば ちどうす.
人の 眼耳 等 驚そう すれば 天変 あり 人の 心を うごかせば 地動す・.

そもそも いずれの きょうぎょうにか ろくしゅどう これなき いっさいきょうを ほとけ とかせ たまいし みな これ あり、.
抑 何の 経経にか 六種動 これなき 一切経を 仏 とかせ 給いし みな これ あり、.

しかれども ほとけ ほけきょうを とかせ たまわんとて ろくしゅ しんどう ありしかば.
しかれども 仏 法華経を とかせ 給はんとて 六種 震動 ありしかば.

しゅも ことに おどろき みろくぼさつも うたがい もんじゅしりぼさつも こたえしは.
衆も・ ことに おどろき 弥勒菩薩も 疑い 文殊師利菩薩も こたへしは.

しょきょう よりも ずいも おおいに ひさしく ありしかば うたがいも おおいに けっし がたかりし なり.
諸経 よりも 瑞も 大に 久しく ありしかば 疑も 大に 決し がたかりし なり、.

ゆえに みょうらくの いわく.
故に 妙楽の 云く.

「いずれの だいじょうきょうにか しゅうじゅ ほうこう うけ どうち あらざらん.
「何れの 大乗経にか 集衆・ 放光・ 雨花・ 動地 あらざらん.

ただ たいぎを しょうずる こと なし」とう うんぬん、.
但 大疑を 生ずる こと 無し」等 云云、.

この しゃくの こころは いかなる きょうぎょうにも じょは そうらえども これほど おおいなるは なしと なり.
此の 釈の 心は いかなる 経経にも 序は 候へども 此れほど 大なるは なしと なり・.

されば てんだいだいしの いわく.
されば 天台大師の 云く.

「せじん おもえらく くも かかれば よろこび きたり かんじゃく なけば こうじん いたると しょうすら なお しるし あり.
「世人 以 蜘蛛 掛れば 喜び 来り カン鵲 鳴けば 行人 至ると 小すら 尚 徴 有り.

だいなんぞ ずい なからん ちかきを もって とおきを あらわす」とう うんぬん。.
大焉ぞ 瑞 無からん 近きを 以て 遠きを 表す」等 云云。.

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それ いちだい 40よねんが あいだ なかりし だいずいを げんじて.
夫 一代 四十余年が 間 なかりし 大瑞を 現じて.

ほけきょうの しゃくもんを とかせ たまいぬ.
法華経の 迹門を・ とかせ 給いぬ、.

その うえ ほんもんと もうすは.
其の 上 本門と 申すは.

また にぜんの きょうぎょうの ずいに しゃくもんを たいする よりも おおいなる だいずい なり.
又 爾前の 経経の 瑞に 迹門を 対する よりも 大なる 大瑞 なり、.

だいほうとうの ちより おどり いでし じゆせんがい.
大宝塔の 地より・ をどり いでし 地涌千界・.

だいち より ならび いでし だいしんどうは だいふうの たいかいを ふけば だいせんの ごとくなる.
大地 より ならび 出でし 大震動は 大風の 大海を 吹けば 大山の ごとくなる.

おおなみの あしの はの ごとくなる こぶねの おいほに つくが ごとく なりしなり.
大波の あしの はの ごとくなる 小船の をひほに つくが・ ごとく なりしなり、.

されば じょほんの ずいをば みろくは もんじゅに とい.
されば 序品の 瑞をば 弥勒は 文殊に 問い.

ゆじゅっぽんの だいずいをば じしは ほとけに とい たてまつる.
涌出品の 大瑞をば 慈氏は 仏に 問い たてまつる・.

これを みょうらく しゃくして いわく.
これを 妙楽 釈して 云く.

「しゃくじは せんごん もんじゅに よすべし くほんは ことわり がたし ゆえに ただ ほとけに たくす」うんぬん・.
「迹事は 浅近・ 文殊に 寄すべし 久本は 裁り 難し 故に 唯 仏に 託す」云云・.

しゃくもんの ことは ほとけ とき たまわざり しかども もんじゅ ほぼ これを しれり.
迹門の ことは 仏 説き 給はざり しかども 文殊 ほぼ これを しれり、.

ほんもんの ことは みょうとく すこしも はからず.
本門の 事は 妙徳 すこしも はからず、.

この だいずいは ざいせの ことにて そうろう.
此の 大瑞は 在世の 事にて 候、.

ほとけ じんりきほんに いたって じゅうじんりきを げんず.
仏・ 神力品に いたつて 十神力を 現ず.

これは また さきの にずいには にるべきも なき じんりき なり.
此れは 又 さきの 二瑞には・ にるべくも なき 神力 なり、.

じょほんの ほうこうは とうほう まんはっせんど、.
序品の 放光は 東方・ 万八千土、.

じんりきほんの だいほうこうは じっぽうせかい.
神力品の 大放光は 十方世界、.

じょほんの ちどうは ただ さんぜんかい.
序品の 地動は 但 三千界・.

じんりきほんの だいちどうは しょぶつの せかいち.
神力品の 大地動は 諸仏の 世界地・.

みな 6しゅに しんどうす.
皆 六種に 震動す、.

この ずいも またまた かくの ごとし.
此の 瑞も 又又 かくの ごとし、.

この じんりきほんの だいずいは ほとけの めつご しょうぞう 2せんねん すぎて.
此の 神力品の 大瑞は 仏の 滅後 正像 二千年 すぎて.

まっぽうに いって ほけきょうの かんようの ひろまらせ たまうべき だいずい なり.
末法に 入つて 法華経の 肝要の ひろまらせ 給うべき 大瑞 なり、.

きょうもんに いわく.
経文に 云く.

「ほとけの めつどの のちに よく この きょうを たもつを もっての ゆえに.
「仏の 滅度の 後に 能く 是の 経を 持つを 以ての 故に.

しょぶつ みな かんきして むりょうの じんりきを げんず」とう うんぬん.
諸仏 皆 歓喜して 無量の 神力を 現ず」等 云云、.

また いわく「あくせ まっぽうの とき」とう うんぬん..
又 云く「悪世 末法の 時」等 云云。.

うたがって いわく それ ずいは きっきょうに つけて あるいは ひととき ふたとき.
疑つて 云く 夫れ 瑞は 吉凶に つけて 或は 一時・ 二時・.

あるいは 1にち 2か あるいは 1ねん 2ねん あるいは 7ねん 12ねんか.
或は 一日・ 二日・ 或は 一年・ 二年・ 或は 七年・ 十二年か・.

いかんぞ 2せんよねんいごの ずい あるべきや.
如何ぞ 二千余年 已後の 瑞 あるべきや、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

しゅうの しょうおうの ずいは いっせん 15ねんに はじめて あえり.
周の 昭王の 瑞は 一千十五年に 始めて あえり、.

きりきおうの ゆめは 2まん2せんねんに はじめて あいぬ.
訖利季王の 夢は 二万二千年に 始めて あいぬ、.

あに 2せんよねんの ことの まえに あらわるるを うたがう べきや.
豈 二千余年の 事の 前に あらはるるを 疑う べきや、.

とうて いわく.
問うて 云く.

ざいせ よりも めつごの ずい おおいなる いかん.
在世 よりも 滅後の 瑞・ 大なる 如何、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

だいちの どうずることは ひとの 6こんの うごくに よる.
大地の 動ずる 事は 人の 六根の 動くに よる、.

ひとの 6こんの うごきの だいしょうに よって だいちの 6しゅも こうげ あり.
人の 六根の 動きの 大小に よつて 大地の 六種も 高下 あり、.

にぜんの きょうぎょうには いっさいしゅじょう ぼんのうを やぶるよう なれども じつには やぶらず.
爾前の 経経には 一切衆生・ 煩悩を やぶるやう・ なれども 実には やぶらず、.

いま ほけきょうは がんぽんの むみょうを やぶる ゆえに だいどう あり.
今 法華経は 元品の 無明を やぶる ゆへに 大動 あり、.

まつだいは また ざいせ よりも あくにん たたなり.
末代は 又 在世 よりも 悪人 多多なり、.

かるがゆえに ざいせの ずいにも すぐれて あるべき よしを じげんし たまう.
かるがゆへに 在世の 瑞にも・ すぐれて・ あるべき よしを 示現し 給う。.

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うたがって いわく しょうもん いかん、.
疑つて 云く 証文 如何、.

こたえて いわく しかも この きょうは にょらいの げんざいにすら なお おんしつ おおし.
答えて 云く 而かも 此の 経は 如来の 現在に すら 猶 怨嫉 多し.

いわんや めつどの のちをや とう うんぬん.
況や 滅度の 後をや 等 云云、.

さる しょうか ぶんえいの おおじしん だいてんぺんは てんじん 7だい ちじん 5だいは さておきぬ.
去る 正嘉・ 文永の 大地震・ 大天変は 天神 七代・ 地神 五代は・ さてをきぬ、.

にんのう 90だい 2000よねんが あいだ にほんこくに いまだ なき てんぺんちよう なり.
人王 九十代・ 二千余年が 間・ 日本国に いまだ なき 天変地夭 なり、.

ひとの よろこび たた なれば てんに きちずいを あらわし ちに たいしゃくの どう あり.
人の 悦び 多多 なれば 天に 吉瑞を あらはし 地に 帝釈の 動 あり、.

ひとの あくしん さかん なれば てんに きょうへん ちに きょうよう しゅったいす.
人の 悪心 盛 なれば 天に 凶変 地に 凶夭 出来す、.

しんにの だいしょうに したがいて てんぺんの だいしょう あり ちようも また かくの ごとし.
瞋恚の 大小に 随いて 天変の 大小 あり 地夭も 又 かくの ごとし、.

いま にほんこく かみ いちにんより しも ばんみんに いたるまで だいあくしんの しゅじょう じゅうまんせり.
今 日本国・ 上 一人より 下 万民に いたるまで 大悪心の 衆生 充満せり、.

この あくしんの こんぽんは にちれんに よりて おこれる ところ なり.
此の 悪心の 根本は 日蓮に よりて 起れる ところ なり、.

しゅごこくかいきょうと もうす きょう あり ほけきょう いごの きょう なり.
守護国界経と 申す 経 あり 法華経 以後の 経 なり.

あじゃせおう ほとけに まいりて いわく.
阿闍世王・ 仏に まいりて 云く.

わがくにに だいかんばつ だいふう だいすい ききん えきびょう ねんねんに おこる うえ たこくより わが くにを せむ.
我国に 大早魃・ 大風・ 大水・ 飢饉・ 疫病・ 年年に 起る 上 他国より 我が 国を せむ、.

しかるに ほとけの しゅつげん したまえる くになり.
而るに 仏の 出現し 給える 国なり・.

いかんと とい まいらせ そうらいしかば ほとけ こたえて いわく.
いかんと 問い まいらせ 候しかば・ 仏 答えて 云く.

よきかな よきかな だいおう よく この といを なせり.
善き哉・ 善き哉・ 大王 能く 此の 問を なせり、.

なんじには おおくの ぎゃくざい あり.
汝には 多くの 逆罪 あり.

その なかに ちちを ころし だいばを しとして われを がいせしむ.
其の 中に 父を 殺し 提婆を 師として 我を 害せしむ、.

この 2ざい おおいなる ゆえ かかる だいなん きたること かくの ごとく むりょう なり.
この 二罪 大なる 故 かかる 大難 来ること かくの ごとく 無量 なり、.

その なかに わが めつごに まっぽうに いって.
其の 中に 我が 滅後に 末法に 入つて.

だいばが ようなる そう くにじゅうに じゅうまんせば しょうほうの そう いちにん あるべし.
提婆が やうなる 僧・ 国中に 充満せば 正法の 僧 一人 あるべし、.

かの あくそうら しょうほうの ひとを るざい しざいに おこないて.
彼の 悪僧等・ 正法の 人を 流罪・ 死罪に 行いて.

おうの きさき ないし ばんみんの おんなを おかして ほうぼうしゃの しゅしの くにに じゅうまん せば.
王の 后・ 乃至 万民の 女を 犯して 謗法者の 種子の 国に 充満 せば.

くにじゅうに しゅじゅの だいなん おこり のちには たこくに せめらるべしと とかれて そうろう.
国中に 種種の 大難 をこり 後には 他国に せめらるべしと・ とかれて 候、.

いまの よの ねんぶつしゃ かくのごとく そうろう うえ.
今の 世の 念仏者 かくのごとく 候 上・.

しんごんしらが だいまん だいばだったに 100せんまんおくばい すぎて そうろう.
真言師等が 大慢・ 提婆達多に 百千万億倍 すぎて 候、.

しんごんしゅうの ふしぎ あらあら もうすべし.
真言宗の 不思議 あらあら 申すべし、.

たいぞうかいの 8ようの 9そんを えに かきて.
胎蔵界の 八葉の 九尊を 画に かきて.

その うえに のぼりて しょぶつの おんかおを ふみて かんちょうと もうす ことを おこなう なり.
其の 上に のぼりて 諸仏の 御面を ふみて 潅頂と 申す 事を 行うなり、.

ふぼの かおを ふみ てんしの いただきを ふむが ごとくなる もの.
父母の 面を ふみ 天子の 頂を ふむが ごとくなる 者・.

くにじゅうに じゅうまんして じょうげの しと なれり.
国中に 充満して 上下の 師と なれり、.

いかでか くに ほろびざる べき.
いかでか 国 ほろびざる べき。.

この こと よが いちだいじの ほうもん なり またまた もうすべし.
此の 事 余が 一大事の 法門 なり 又又 申すべし、.

さきに すこし かきて そうろう.
さきに すこし かきて 候、.

いたう ひとに おおせ ある べからず.
いたう 人に おほせ ある べからず、.

びんごとの こころざし いちど にど ならねば いかにとも.
びんごとの 心ざし 一度・ 二度 ならねば いかにとも。.

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