b1165から1169.
四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)
別名、世雄御書(せおう ごしょ).
日蓮大 聖人 56歳御作.

 

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しじょうきんごどの ごへんじ.
四条金吾殿 御返事.

けんじ 3ねん 56さい おんさく.
建治 三年 五十六歳 御作.

おんふみ あらあら うけ たまわりて ながき よの あけ.
御文 あらあら うけ 給わりて 長き 夜の あけ・.

とおき みちを かえりたるが ごとし.
とをき 道を かへりたるが ごとし、.

それ ぶっぽうと もうすは しょうぶを さきとし.
夫れ 仏法と 申すは 勝負を さきとし、.

おうほうと もうすは しょうばつを もとと せり.
王法と 申すは 賞罰を 本と せり、.

ゆえに ほとけをば せおうと ごうし おうをば じざいと なずけたり.
故に 仏をば 世雄と 号し 王をば 自在と なづけたり、.

なかにも てんじくをば がっしと いう わがくにをば にほんと もうす.
中にも 天竺をば 月氏と いう 我国をば 日本と 申す.

いちえんぶだい 8まんの くにの なかに だいなる くには てんじく しょうなる くには にほん なり.
一閻浮提・ 八万の 国の 中に 大なる 国は 天竺・ 小なる 国は 日本 なり、.

なの めでたきは いんど だい2 ふそう だい1 なり.
名の めでたきは 印度 第二・ 扶桑 第一 なり、.

ぶっぽうは つきの くにより はじめて ひの くにに とどまるべし.
仏法は 月の 国より 始めて 日の 国に とどまるべし、.

つきは にしより いで ひがしに むかい ひがしより にしへ いく こと てんねんの ことわり.
月は 西より 出で 東に 向ひ 日は 東より 西へ 行く 事 天然の ことはり、.

じしゃくと くろがねと いかづちと ぞうけとの ごとし.
磁石と 鉄と 雷と 象華との ごとし、.

たれか この ことわりを やぶらん.
誰か 此の ことはりを・ やぶらん。.

この くにに ぶっぽう わたりし ゆらいを たずぬれば.
此の 国に 仏法 わたりし 由来を たづぬれば.

てんじん 7だい ちじん 5だい すぎて にんのうの よと なりて.
天神 七代・ 地神 五代 すぎて 人王の 代と なりて.

だい1 じんむてんのう ないし だい30だい きんめいてんのうと もうせし おう おわしき.
第一 神武天皇・ 乃至 第三十代 欽明天皇と 申せし 王 をはしき、.

くらいに つかせ たまいて 32ねん ちせいし たまいしに.
位に つかせ 給いて 三十二年 治世し 給いしに.

だい13ねん みずえのさる 10がつ 13にち かのととりに この くにより にしに くだらこくと もうす くに あり.
第十三年 壬申 十月 十三日 辛酉に 此の 国より 西に 百済国と 申す 州 あり.

にほんこくの だいおうの おんちぎょうの くに なり.
日本国の 大王の 御知行の 国 なり、.

その くにの だいおう せいめいおうと もうせし こくおう あり.
其の 国の 大王・ 聖明王と 申せし 国王 あり、.

みつぎを にほんこくに まいらせし.
年貢を 日本国に まいらせし・.

ついでに こんどうの しゃかぶつ ならびに いっさいきょう ほっし あまらを わたし たりしかば.
ついでに 金銅の 釈迦仏・ 並に 一切経・ 法師・ 尼等を わたし・ たりしかば.

てんのう おおいに よろこびて ぐんしんに おおせて せいばんの ほとけを あがめ たてまつるべしや いなや.
天皇 大に 喜びて 群臣に 仰せて 西蕃の 仏を・ あがめ 奉るべしや・ いなや、.

そがの おおおみ いなめの すくねと もうせし ひとの いわく.
蘇我の 大臣 いなめの 宿禰と 申せし 人の 云く.

せいばんの しょこく みな これを らいす.
西蕃の 諸国 みな 此れを 礼す・.

とよあきやまと あに ひとり そむかんやと もうす.
とよあきやまと あに 独り 背やと 申す、.

もののべの おおむらじ おこし なかとみの かまこら そうして いわく.
物部の 大むらじ をこし 中臣の かまこ等 奏して 曰く.

わが こっか てんかに きみたる ひとは.
我が 国家・ 天下に 君たる 人は・.

つねに てんち しゃそく ももやそのかみを しゅんかしゅうとうに さいはいするを ことと す.
つねに 天地 しやそく 百八十神を 春夏秋冬に・ さいはいするを 事と す、.

しかるを いまさら あらためて せいばんの かみを はいせば.
しかるを 今更 あらためて 西蕃の 神を 拝せば.

おそらくは わが くにの かみ いかりを なさんと うんぬん.
おそらくは 我が 国の 神 いかりを なさんと 云云、.

そのときに てんのう わかちがたくして ちょくせん す.
爾の時に 天皇 わかちがたくして 勅宣 す、.

この ことを ただ こころみに そがの おとどに つけて 1にんに あがめさす べし.
此の 事を 只 心みに 蘇我の 大臣に つけて 一人に あがめさす べし、.

たにん もちいる こと なかれ.
他人 用いる 事 なかれ、.

そがの おとど うけとりて おおいに よろこび たまいて.
蘇我の 大臣 うけ取りて 大に 悦び 給いて.

この しゃかぶつを わが きょじゅうの おはたと もうす ところに いれまいらせて あんち せり.
此の 釈迦仏を 我が 居住の おはたと 申す ところに 入まいらせて 安置 せり、.

ものべの おおむらじ ふしぎなり とて いきどおりし ほどに.
物部の 大連・ 不思議なり とて・ いきどをりし 程に.

にほんこくに だいえきびょう おこりて しせるもの たいはんに およぶ.
日本国に 大疫病 おこりて 死せる者・ 大半に 及ぶ・.

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b1166

すでに くにたみ つきぬべかりしかば.
すでに 国民 尽きぬべかりしかば、.

もののべの おおむらじ ひまを えて このほとけを うしなうべきよし もうせしかば ちょくせん なる.
物部の 大連・ 隙を 得て 此の仏を 失うべきよし 申せしかば 勅宣 なる、.

はやく たこくの ぶっぽうを すつべし うんぬん.
早く 他国の 仏法を 棄つべし 云云、.

もののべの おおむらじ おんつかいとして ほとけをば とりて すみを もって おこし.
物部の 大連・ 御使として 仏をば 取りて 炭を もつて をこし・.

つちを もって うちくだき ぶつでんをば ひを かけて やきはらい.
つちを もつて 打ちくだき・仏殿をば 火を かけて・やきはらひ.

そうにをば むちを くわう.
僧尼をば・ むちを くわう、.

その とき てんに くも なくして だいふう ふき あめ ふり.
其の 時 天に 雲 なくして 大風 ふき・ 雨 ふり、.

だいり てんかに やけあがって だいおう ならびに もののべのおおむらじ そがの おみ 3にん ともに えきびょう あり.
内裏 天火に やけあがつて 大王 並に 物部の大連・ 蘇我の 臣・ 三人 共に 疫病 あり・.

きるが ごとく やくが ごとし.
きるがご とく・ やくが ごとし、.

おおむらじは ついに いのち たえぬ.
大連は 終に 寿 絶えぬ・.

そがと おうとは からくして そせい す.
蘇我と 王とは・ からくして 蘇生 す、.

しかれども ぶっぽうを もちゆること なくして 19ねん すぎぬ.
而れども 仏法を 用ゆること なくして 十九年 すぎぬ。.

だい31だいの びだつてんのうは きんめい だい2の たいし みよ 14ねん なり.
第三十一代の 敏達天皇は 欽明 第二の 太子・ 治 十四年 なり.

そうの りょうおみは 1は もののべのおおむらじが こにて ゆげのもりや.
左右の 両臣は 一は 物部の大連が 子にて 弓削の守屋・.

ちちの あとを ついで おおむらじに にんず.
父の あとを ついで 大連に 任ず.

そがの すくねのこは そがのうまこと うんぬん.
蘇我の 宿禰の子は 蘇我の馬子と 云云、.

この おうの みよに しょうとくたいし うまれ たまえり.
此の 王の 御代に 聖徳太子 生 給へり・.

ようめいの みこ びだつの おい なり おんとし 2さいの 2がつ.
用明の 御子・ 敏達の をい なり 御年 二歳の 二月・.

ひがしに むかって むめいの ゆびを ひらいて なむぶつと となえ たまわば おんしゃり みてに あり.
東に 向つて 無名の 指を 開いて 南無仏と 唱へ 給へば 御舎利・ 掌に あり、.

これ にほんこくの しゃか ねんぶつの はじめ なり.
是れ 日本国の 釈迦 念仏の 始め なり、.

たいし 8さいに なりしに 8さいの たいし いわく.
太子 八歳 なりしに 八歳の 太子 云く.

「さいごくの しょうにん しゃかむにぶつの いぞう まっせに.
「西国の 聖人・ 釈迦牟尼仏の 遺像 末世に.

これを とうとめば すなわち わざわいを けし ふくを こうむる.
之を 尊めば 則ち 禍を 銷し・ 福を 蒙る・.

これを あなずれば すなわち わざわいを まねき いのちを ちぢむ」とう うんぬん.
之を 蔑れば 則ち 災を 招き 寿を 縮む」等 云云、.

おおむらじ もののべの ゆげ すくねの もりやら いかりて いわく.
大連 物部の 弓削・ 宿禰の 守屋等 いかりて 云く.

「そがは ちょくせんを そむきて たこくの かみを らいす」とう うんぬん.
「蘇我は 勅宣を 背きて 他国の 神を 礼す」等 云云、.

また えきびょう いまだ やまず じんみん すでに たえぬべし.
又 疫病 未だ 息まず 人民 すでに たえぬべし、.

ゆげ もりや また これを かんそうす うんぬん.
弓削 守屋 又 此れを 間奏す 云云、.

ちょくせんに いわく.
勅宣に 云く.

「そがの うまこ ぶっぽうを こうぎょうす よろしく ぶっぽうを しりぞくべし」とう うんぬん.
「蘇我の 馬子 仏法を 興行す 宜く 仏法を 卻ぞくべし」等 云云、.

ここに もりや なかとみの おみ かつみのおおむらじら りょうおみと.
此に 守屋 中臣の 臣 勝海大連等 両臣と、.

てらに むかって どうとうを きりたおし ぶつぞうを やきやぶり.
寺に 向つて 堂塔を 切たうし 仏像を・ やきやぶり、.

てらには ひを はなち そうにの けさを はぎ むちを もって せむ.
寺には 火を はなち 僧尼の 袈裟を はぎ 笞を もつて せむ・.

また てんのう ならびに もりや うまこら えきびょうす.
又 天皇 並に 守屋 馬子 等 疫病す、.

その ことばに いわく「やくが ごとし きるが ごとし」.
其の 言に 云く「焼くが ごとし・ きるが ごとし」.

また かさ おこる ほうそうと いう.
又 瘡 をこる・ はうそうと いふ、.

うまこ なげいて いわく「なお さんぽうを あおがん」と.
馬子 歎いて 云く「尚 三宝を 仰がん」と・.

ちょくせんに いわく「なんじ ひとり おこなえ ただし よにんを たてよ」とう うんぬん.
勅宣に 云く「汝 独り 行え 但し 余人を 断てよ」等 云云、.

うまこ きんえつし しょうじゃを つくりて さんぽうを あがめぬ.
馬子 欣悦し 精舎を 造りて 三宝を 崇めぬ。.

てんのうは ついに 8がつ 15にち ほうぎょ うんぬん.
天皇は 終 八月 十五日・ 崩御 云云、.

このとしは たいしは 14なり.
此の年は 太子は 十四なり.

だい32だい ようめいてんのうの みよ 2ねん きんめいの たいし しょうとくたいしの ちち なり.
第三十二代・ 用明天皇の 治 二年・ 欽明の 太子・ 聖徳太子の 父 なり、.

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b1167

みよ 2ねん ひのとひつじ 4がつに てんのう えきびょう あり.
治 二年 丁未 四月に 天皇 疫病 あり、.

みかど ちょくして いわく「さんぽうに きせんと ほっす」うんぬん.
皇 勅して 云く「三宝に 帰せんと 欲す」云云、.

そがの おおおみ みことのりに したがうべし とて.
蘇我の 大臣 詔に 随う可し とて.

ついに ほっしを ひいて だいりに いる とよくにの ほっし これなり.
遂に 法師を 引いて 内裏に 入る 豊国の 法師 是なり、.

もののべの もりや おおむらじら おおいに いかり よこに にらんで いわく.
物部の守屋・ 大連等・ 大に 瞋り 横に 睨んで 云く.

てんのうを えんみすと ついに みかど かくれさせ たまう.
天皇を 厭魅すと 終に 皇 隠れさせ 給う・.

5がつに もののべの もりやが いちぞく.
五月に 物部の守屋が 一族・.

しぶかわの いえに ひきこもり たぜいを あつめぬ.
渋河の 家に ひきこもり 多勢を あつめぬ、.

たいしと うまこと おしよせて たたかう.
太子と 馬子と 押し寄せて たたかう、.

5がつ 6がつ 7がつの あいだに 4かど かっせん す.
五月・ 六月・ 七月の 間に 四箇度・ 合戦 す、.

3どは たいし まけ たまう だい 4どめに たいし がんを たてて いわく.
三度は 太子 まけ 給ふ 第 四度めに 太子・願を 立てて 云く.

「しゃかにょらいの おんしゃりの とうを たて してんのうじを こんりゅうせん」と.
「釈迦如来の 御舎利の 塔を 立て 四天王寺を 建立せん」と・.

うまこ ねがって いわく.
馬子 願て 云く.

「くだらより わたす ところの しゃかぶつを てらを たてて すうちょうすべし」と うんぬん.
「百済より 渡す 所の 釈迦仏を 寺を 立てて 崇重すべし」と 云云、.

ゆげ なのって いわく.
弓削 なのつて 云く.

「これは わが はなつ やには あらず.
「此れは 我が 放つ 矢には あらず.

わが せんぞ すうちょうの ふとの だいみょうじんの はなち たまう や なり」と.
我が 先祖 崇重の 府都の 大明神の 放ち 給ふ 矢 なり」と、.

この や はるかに とんで たいしの よろいに あたる.
此の 矢 はるかに 飛んで 太子の 鎧に 中る、.

たいし なのる.
太子 なのる.

「これは わが はなつ やには あらず 4てんのうの はなちたまう や なり」とて.
「此は 我が 放つ 矢には あらず 四天王の 放ち給う 矢なり」とて.

とみの いちひと もうす とねりに いさせ たまわば.
迹見の 赤梼と 申す 舎人に・ いさせ 給へば.

や はるかに とんで もりやが むねに あたりぬ.
矢 はるかに 飛んで 守屋が 胸に 中りぬ、.

はだのかわかつ おちあいて くびを とる.
はだのかはかつ をちあひて 頚を とる、.

この かっせんは ようめい ほうぎょ すしゅん いまだ くらいに つき たまわざる その ちゅうげん なり.
此の 合戦は 用明 崩御・ 崇峻 未だ 位に 即き 給わざる 其の 中間 なり。.

だい33 すしゅんてんのう くらいに つき たまう.
第三十三・ 崇峻天皇・位に つき 給う、.

たいしは してんのうじを こんりゅう す.
太子は 四天王寺を 建立 す.

これ しゃかにょらいの おんしゃり なり.
此れ 釈迦如来の 御舎利 なり、.

うまこは がんごじと もうす てらを こんりゅうして.
馬子は 元興寺と 申す 寺を 建立して.

くだらこくより わたりて そうらいし きょうしゅ しゃくそんを すうちょう す.
百済国より わたりて 候いし 教主釈尊を 崇重 す、.

いまの よに せけん だい1の ふしぎは ぜんこうじの あみだにょらいと いう おうわく これなり.
今の 代に 世間 第一の 不思議は 善光寺の 阿弥陀如来と いう 誑惑 これなり、.

また しゃかぶつに あだを なせし ゆえに.
又 釈迦仏に あだを・ なせし ゆへに.

3だいの てんのう ならびに もののべの いちぞく むなしく なりし なり.
三代の 天皇・ 並に 物部の 一族 むなしく・ なりし なり.

また たいし きょうしゅ しゃくそんの ぞう いったい つくらせ たまいて がんごじに こせしむ.
又 太子・ 教主 釈尊の 像・ 一体 つくらせ 給いて 元興寺に 居せしむ.

いまの たちばなでらの ごほんぞん これなり.
今の 橘寺の 御本尊 これなり、.

これこそ にほんこくに しゃかぶつ つくりし はじめ なれ.
此れこそ 日本国に 釈迦仏 つくりし はじめ なれ。.

かんどには ごかんの だい2のめいてい えいへい 7ねんに こんじんの ゆめを みて.
漢土には 後漢の 第二の 明帝・ 永平 七年に 金神の 夢を 見て.

はかせさいいん おうじゅんらの 18にんを がっしに つかわして.
博士蔡いん・ 王遵等の 十八人を 月氏に つかはして.

ぶっぽうを たずねさせ たまい しかば.
仏法を 尋ねさせ 給い しかば・.

ちゅうてんじくの しょうにん まとぎゃ じくほうらんと 2にんの しょうにんを.
中天竺の 聖人 摩騰迦・ 竺法蘭と 申せし 二人の 聖人を.

どう えいへい 10ねん ひのとうの とし むかえ とりて すうちょう ありしかば.
同 永平 十年 丁卯の 歳 迎へ 取りて 崇重 ありしかば、.

かんどにて もとより みかどの おんいのりせし じゅけ どうけの ひとびと すうせんにん.
漢土にて 本より 皇の 御いのりせし 儒家・ 道家の 人人 数千人.

この ことを そねみて うったえ しかば.
此の 事を そねみて・ うつたへ しかば、.

どう えいへい 14ねん しょうがつ 15にちに めし あわせられ しかば.
同 永平 十四年 正月 十五日に 召し 合せられ しかば.

かんどの どうし よろこびを なして とうどの かみ ひゃくれいを ほんぞんとして ありき.
漢土の 道士 悦びを なして 唐土の 神・ 百霊を 本尊として ありき、.

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b1168

2にんの しょうにんは ほとけの おんしゃりと しゃかぶつの えぞうと 5ぶの きょうを ほんぞんと たのみ たまう.
二人の 聖人は 仏の 御舎利と 釈迦仏の 画像と 五部の 経を 本尊と 恃怙み 給う、.

どうしは もとより おうの まえにして.
道士は 本より 王の 前にして.

ならいたりし せんきょう さんぷん ごてん にせい さんのうの しょを たきぎに つめこみて やきしかば.
習いたりし 仙経・ 三墳・ 五典・ 二聖・ 三王の 書を 薪に・ つみこめて・ やきしかば.

いにしえは やけざりしが はいと なりぬ.
古は やけざりしが・ はいと なりぬ、.

さきには みずに うかびしが みずに しずみぬ.
先には 水に うかびしが 水に 沈みぬ、.

きじんを よびしも きたらず.
鬼神を 呼しも 来らず、.

あまりの はずかしさに ちょぜんしん ひしゅくさいなんど もうせし どうしらは おもい じに ししぬ.
あまりの はづかしさに ちょ善信・ 費叔才なんど 申せし 道士等は おもい 死に ししぬ、.

ふたりの しょうにんの せっぽう ありしかば.
二人の 聖人の 説法 ありしかば.

しゃりは てんに のぼりて ひかりを はなちて にちりん みゆること なし.
舎利は 天に 登りて 光を 放ちて 日輪 みゆる事 なし、.

えぞうの しゃかぶつは みけんより ひかりを はなち たまう.
画像の 釈迦仏は 眉間より 光を 放ち 給う、.

りょけいつうらの 600よにんの どうしは きぶくして しゅっけ す.
呂慧通等の 六百余人の 道士は 帰伏して 出家 す、.

30にちが あいだに 10じ たちぬ.
三十日が 間に 十寺 立ちぬ、.

されば しゃかぶつは しょうばつ ただしき ほとけ なり.
されば 釈迦仏は 賞罰 ただしき 仏 なり、.

かみに あぐる 3だいの みかど ならびに 2にんの しんか しゃかにょらいの かたきと ならせ たまいて.
上に 挙ぐる 三代の 帝・並に 二人の 臣下・ 釈迦如来の 敵と ならせ 給いて.

こんじょうは むなしく ごしょうは あくどうに おちぬ.
今生は 空く 後生は 悪道に 堕ちぬ。.

いまの よも また これに かわるべからず.
今の 代も 又 これに・ かはるべからず、.

かんどの どうし しんひら にほんの もりやらは.
漢土の 道士・ 信費等・ 日本の 守屋等は.

かんど にほんの だいしょうの じんぎを しんようして きょうしゅ しゃくそんの おんかたきと なりしかば.
漢土・ 日本の 大小の 神祇を 信用して 教主釈尊の 御敵と なりしかば.

かみは ほとけに したがい たてまつり ぎょうじゃは みな ほろびぬ.
神は 仏に 随い 奉り 行者は 皆 ほろびぬ、.

いまの よも かくの ごとく.
今の 代も 此くの 如く.

かみに あぐる ところの くだらこくの ほとけは きょうしゅ しゃくそん なり.
上に 挙ぐる 所の 百済国の 仏は 教主 釈尊 なり、.

なを あみだぶつと いって にほんこくを たぼらかして しゃくそんを たぶつに かえたり.
名を 阿弥陀仏と 云つて 日本国を たぼらかして 釈尊を 他仏に かへたり、.

かみと ほとけと ほとけと ほとけとの さべつこそ あれども.
神と 仏と 仏と 仏との 差別こそ あれども.

しゃくそんを すつる こころは ただ ひとつ なり.
釈尊を すつる 心は ただ 一 なり、.

されば いまの よの めっせん こと また うたがい なかるべし.
されば 今の 代の 滅せん 事 又 疑い なかるべし、.

これは いまだ もうさざる ほうもんなり ひすべし ひすべし.
是は 未だ 申さざる 法門なり 秘す可し 秘す可し、.

また わが いちもんの ひとびとの なかにも.
又 吾 一門の 人人の 中にも.

しんじんも うすく にちれんが もうす ことを そむき たまわば そがが ごとく なるべし.
信心も・ うすく 日蓮が 申す 事を 背き 給はば 蘇我が 如く なるべし、.

その ゆえは ぶっぽう にほんに たちし ことは そがの すくねと うまことの ふし 2にんの ゆえぞかし.
其の 故は 仏法 日本に 立ちし 事は 蘇我の 宿禰と 馬子との 父子 二人の 故ぞかし、.

しゃかにょらいの しゅっせの ときの ぼんのう たいしゃくの ごとくにて こそ あらまじ なれども.
釈迦如来の 出世の 時の 梵王・ 帝釈の 如くにて こそ あらまじ なれども、.

もののべと もりやとを うしないし ゆえに.
物部と 守屋とを 失いし 故に.

ただ いちもんに なりて くらいも あがり くにをも ちぎょうし いちもんも はんじょうせし ゆえに.
只 一門に なりて 位も あがり 国をも 知行し 一門も 繁昌せし 故に.

たかあがりを なして すしゅんてんのうを うしない たてまつり.
高挙を なして 崇峻天皇を 失い たてまつり.

おうじを おおく ころし けっくは たいしの みこ 23にんを.
王子を 多く 殺し 結句は 太子の 御子 二十三人を.

うまこが まご いるかの しんか うしない まいらせし ゆえに.
馬子が まご 入鹿の 臣下 失ひ まいらせし 故に、.

こうぎょくてんのうは なかとみの かまこが はからいとして.
皇極天皇は 中臣の 鎌子が 計いとして.

きょうしゅ しゃくそんを つくり たてまつりて あながちに もうせ しかば.
教主釈尊を 造り 奉りて あながちに 申せ しかば.

いるかの おみ ならびに ちちらの いちぞく いちじに ほろびぬ.
入鹿の 臣 並に 父等の 一族 一時に 滅びぬ。.

これを もって ごすいさつ あるべし.
此を もつて 御推察 あるべし、.

また わが この いちもんの なかにも もうし とおらせ たまわざらん ひとびとは かえりて とが あるべし.
又 我が 此の 一門の 中にも 申し とをらせ 給はざらん 人人は・ かへりて 失 あるべし、.

にちれんを うらみさせ たまうな.
日蓮を うらみさせ 給うな.

しょうふぼう のとぼうらを ごらん あるべし.
少輔房・ 能登房等を 御覧 あるべし、.

かまえて かまえて この あいだは よの こと なりとも ごきしょう かかせ たまう べからず.
かまへて・ かまへて 此の 間は よの 事 なりとも 御起請 かかせ 給う べからず・.

→a1168

b1169

ひは おびただしき ようなれども しばらく あれば しめる.
火は・ をびただしき 様なれども 暫く あれば しめる・.

みずは のろき ようなれども そうなく うしない がたし.
水は のろき 様なれども 左右なく 失い がたし、.

ごへんは はら あしき ひと なれば ひの もえるが ごとし.
御辺は 腹 あしき 人 なれば 火の 燃るが ごとし.

いちじょう ひとに すかされなん.
一定・ 人に すかされなん、.

また しゅの うらうらと ことば やわらかに すかさせ たまう ならば.
又 主の うらうらと 言 和かに すかさせ 給う ならば.

ひに みずを かけたる ように おんわたり ありぬと おぼゆ.
火に 水を かけたる 様に 御わたり ありぬと 覚ゆ、.

きたわぬ かねは さかんなる ひに いるれば とく とけ そうろう.
きたはぬ・ かねは・ さかんなる 火に 入るれば とく とけ 候、.

こおりを ゆに いるが ごとし.
冰を ゆに 入るが ごとし、.

つるぎ なんどは だいかに いるれども しばらくは とけず.
剣 なんどは 大火に 入るれども 暫くは とけず.

これ きたえる ゆえ なり.
是 きたへる 故 なり、.

まえに こう もうすは きたう なるべし.
まへに かう 申すは きたう なるべし、.

ぶっぽうと もうすは どうりなり どうりと もうすは しゅに かつ ものなり.
仏法と 申すは 道理なり 道理と 申すは 主に 勝つ 物なり.

いかに いとおし はなれじと おもう め なれども ししぬれば かいなし.
いかに・いとをし・はなれじと 思う め なれども 死しぬれば・ かひなし・.

いかに しょりょうを おししと おぼすとも.
いかに 所領を・ をししと・ をぼすとも.

ししては たにんの もの すでに さかえて とし ひさし.
死しては 他人の 物、すでに・ さかへて 年 久し・.

すこしも おしむ こと なかれ.
すこしも 惜む 事 なかれ、.

また さきざき もうすが ごとく.
又 さきざき 申すが ごとく・.

さきざきよりも 100せんまんおくばい ごようじん あるべし.
さきざきよりも 百千万億倍・ 御用心 あるべし。.

にちれんは わかきより こんじょうの いのり なし.
日蓮は 少より 今生の いのり なし.

ただ ほとけに ならんと おもう ばかりなり.
只仏に ならんと をもふ 計りなり、.

されども とのの おんことをば ひまなく ほけきょう しゃかぶつ にってんに もうすなり.
されども 殿の 御事をば・ ひまなく 法華経・ 釈迦仏・ 日天に 申すなり.

その ゆえは ほけきょうの いのちを つぐ ひと なればと おもうなり.
其の 故は 法華経の 命を 継ぐ 人 なればと 思うなり。.

あなかしこ あなかしこ.
穴賢・ 穴賢.

あらかる べからず.
あらかる べからず・.

わがやに あらずんば ひとに よりあう こと なかれ.
吾が家に・あらずんば 人に 寄合 事 なかれ、.

また よまわりの とのばらは ひとりも たのもしき ことは なけれども.
又 夜廻の 殿原は・ ひとりも・ たのもしき 事は なけれども・.

ほけきょうの ゆえに やしきを とられたる ひとびと なり.
法華経の 故に 屋敷を 取られたる 人人 なり、.

つねは むつばせ たまうべし.
常は むつばせ 給うべし、.

また よるの ようじんの ためと もうし かたがた とのの まもりと なるべし.
又 夜の 用心の 為と 申し かたがた・ 殿の 守りと なるべし、.

わがかたの ひとびとをば しょうしょうの ことをば みず きかず あるべし.
吾方の 人人をば 少少の 事をば・ みず きかず あるべし・.

さて また ほうもん なんどを きかばやと おおせ そうらわんに.
さて 又 法門 なんどを 聞ばやと 仰せ 候はんに.

よろこんで みえ たまう べからず.
悦んで 見え 給う べからず、.

いかんが そうらわん ずらん.
いかんが 候はん ずらん、.

おんでしどもに もうして こそ み そうらわめと やわやわと あるべし.
御弟子共に 申して こそ 見 候はめと・ やわやわと あるべし・.

いかにも うれしさに いろに あらわれなんと おぼえ きかんと おもう こころだにも つかせ たまう ならば.
いかにも・ うれしさに・ いろに 顕われなんと 覚え 聞かんと 思う 心だにも 付かせ 給う ならば.

ひを つけて もすが ごとく てんより あめの くだるが ごとく.
火を つけて・ もすが ごとく 天より 雨の 下るが ごとく.

ばんじを すてられんずる なり.
万事を すてられんずる なり。.

また こんど いかなる たよりも しゅったいせば したため そうらいし ちんじょうを あげらる べし.
又 今度 いかなる 便も 出来せば・ したため 候し 陳状を 上げらる べし、.

だいじの ふみなれば ひとさわぎは かならず あるべし.
大事の 文なれば・ ひとさはぎは・ かならず あるべし、.

あなかしこ あなかしこ.
穴賢 穴賢。.

しじょうきんご どの.
四条金吾 殿.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

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