b1218から1221.
乙御前御消息(おとごぜん ごしょうそく)
別名、身軽法重抄(しんきょうほうじゅうしょう).
日蓮大 聖人 54歳御作.

 

b1218

おとごぜん ごしょうそく.
乙御前 御消息 .

けんじ がんねん 8がつ 54さい おんさく.
建治 元年 八月 五十四歳 御作.

かんどに いまだ ぶっぽうの わたり そうらわざりし ときは.
漢土に いまだ 仏法の わたり 候はざりし 時は.

3こう 5てい 3のう ないし たいこうぼう しゅうこうたん ろうし こうし つくらせ たまいて そうらいし ふみを.
三皇・ 五帝・ 三王・ 乃至 大公望・ 周公旦・ 老子・ 孔子・つくらせ 給いて 候いし 文を.

あるいは けいと なづけ あるいは てん とうと なづく.
或は 経と なづけ 或は 典 等と なづく、.

この ふみを ひらいて ひとに れいぎを おしえ ふぼを しらしめ おうしんを さだめて よを おさめ しかば.
此の 文を 披いて 人に 礼儀を おしへ・ 父母を しらしめ・ 王臣を 定めて 世を おさめ しかば.

ひとも したがい てんも のうじゅを たれ たまう.
人も したがひ 天も 納受を たれ 給ふ、.

これに たがいし こをば ふこうの ものと もうし しんをば ぎゃくしんの ものとて とがに あてられし ほどに.
此れに・ たがいし 子をば 不孝の 者と 申し 臣をば 逆臣の 者とて 失に あてられし 程に、.

がっしより ぶっきょう わたりし とき.
月氏より 仏経 わたりし 時・.

ある 1るいは もちう べからずと もうし ある 1るいは もちうべしと もうせし ほどに.
或 一類は 用ふ べからずと 申し 或 一類は 用うべしと 申せし 程に・.

あらそい いできたりて めし あわせたり しかば げてんの もの まけて ぶつでし かちにき.
あらそひ 出来て 召し 合せたり しかば 外典の 者・負けて 仏弟子 勝ちにき、.

その のちは げてんの ものと ぶつでしを あわせしかば.
其の 後は 外典の 者と 仏弟子を 合せしかば・.

こおりの ひに とくるが ごとく ひの みずに めっするが ごとく.
冰の 日に・ とくるが 如く・ 火の 水に 滅するが 如く・.

まくる のみならず なにとも なきものと なりし なり.
まくる のみならず・ なにとも なき者と なりし なり、.

また ぶっきょう ようやく わたりきたりし ほどに ぶっきょうの なかに また しょうれつ せんじん そうらいけり.
又 仏経 漸く わたり 来りし 程に 仏経の 中に 又 勝劣・ 浅深 候いけり、.

いわゆる しょうじょうきょう だいじょうきょう けんきょう みっきょう ごんきょう じっきょう なり.
所謂 小乗経・ 大乗経・ 顕経・ 密経・ 権経・ 実経 なり、.

たとえば いっさいの いしは こがねに たいすれば いっさいの こがねに おとれども また こがねの なかにも じゅうじゅう あり.
譬えば 一切の 石は 金に 対すれば 一切の 金に 劣れども・ 又 金の 中にも 重重 あり、.

いっさいの にんげんの こがねは えんぶだんごんには および そうらわず.
一切の 人間の 金は 閻浮檀金には 及び 候はず、.

えんぶだんごんは ぼんてんの こがねには およばざるが ごとく.
閻浮檀金は 梵天の 金には 及ばざるが ごとく・.

いっさいきょうは こがねの ごとく なれども また しょうれつ せんじん あるなり.
一切経は 金の 如く なれども 又 勝劣・ 浅深 あるなり、.

しょうじょうきょうと もうす きょうは せけんの こぶねの ごとく.
小乗経と 申す 経は 世間の 小船の ごとく・.

わずかに ひとの 2にん 3にんとうは のすれども ひゃくせんにんは のせず.
わづかに 人の 二人・ 三人等は 乗すれども 百千人は 乗せず、.

たとい 2にん 3にんとうは のすれども しがんに つけて ひがんへは いきがたし.
設ひ 二人・ 三人等は 乗すれども 此岸に つけて 彼岸へは 行きがたし、.

また すこしの ものをば いるれども だいなる ものをば いれがたし.
又 すこしの 物をば 入るれども 大なる 物をば 入れがたし、.

だいじょうともうすは たいせん なり.
大乗と 申すは 大船 なり.

ひとも 10 20にんも のる うえ だいなる ものをも つみ かまくらより つくし みちの くにへも いたる.
人も 十・ 二十人も 乗る 上・ 大なる 物をも・ つみ・ 鎌倉より・ つくし みちの 国へも いたる。.

じっきょうと もうすは また かの たいせんの だいじょうきょうには にるべくも なし.
実経と 申すは 又 彼の 大船の 大乗経には・ にるべくも なし、.

だいなる ちんぽうをも つみ ひゃくせんにん のりて こうらいなんどへも わたりぬべし.
大なる 珍宝をも・ つみ 百千人 のりて・ かうらいなんどへも・ わたりぬべし、.

いちじょう ほけきょうと もうす きょうも また かくの ごとし.
一乗 法華経と 申す 経も 又 是くの 如し、.

だいばだったと もうすは えんぶ だい1の だいあくにん なれども ほけきょうにして てんのうにょらいと なりぬ.
提婆達多と 申すは 閻浮 第一の 大悪人 なれども 法華経にして 天王如来と なりぬ、.

また あじゃせおうと もうせしは ちちを ころせし あくおう なれども.
又 阿闍世王と 申せしは 父を ころせし 悪王 なれども.

ほけきょうの ざに つらなりて いちげ いっくの けちえんしゅうと なりぬ.
法華経の 座に 列りて 一偈 一句の 結縁衆と なりぬ、.

→a1218

b1219

りゅうにょと もうせし じゃたいの にょにんは ほけきょうを もんじゅしりぼさつ とき たまい しかば ほとけに なりぬ.
竜女と 申せし 蛇体の 女人は 法華経を 文珠師利菩薩 説き 給ひ しかば 仏に なりぬ、.

その うえ ぶっせつには あくせ まっぽうと ときを ささせ たまいて まつだいの なんにょに おくらせ たまいぬ.
其の 上 仏説には 悪世 末法と 時を ささせ 給いて 末代の 男女に・ をくらせ 給いぬ、.

これ こそ とうせんの ごとくにて そうろう.
此れ こそ 唐船の 如くにて 候・.

いちじょうきょう にては おわしませ.
一乗経 にては おはしませ、.

されば いっさいきょうは げてんに たいすれば いしと こがねとの ごとし.
されば 一切経は 外典に 対すれば 石と 金との 如し、.

また いっさいの だいじょうきょう いわゆる けごんきょう だいにちきょう かんぎょう あみだきょう はんにゃきょう とうの もろもろの きょうぎょうを.
又 一切の 大乗経・ 所謂 華厳経・ 大日経・ 観経・ 阿弥陀経・ 般若経 等の 諸の 経経を.

ほけきょうに たいすれば ほたるびと にちがつと かざんと ありづかとの ごとし.
法華経に 対すれば 螢火と 日月と 華山と 蟻塚との 如し、.

きょうに しょうれつ ある のみならず.
経に 勝劣 ある のみならず.

だいにちきょうの いっさいの しんごんしと ほけきょうの ぎょうじゃとを あわすれば みずに ひを あわせ つゆと かぜとを あわするが ごとし.
大日経の 一切の 真言師と 法華経の 行者とを 合すれば 水に 火を あはせ 露と 風とを 合するが 如し、.

いぬは ししを ほうれば はらわた くさる しゅらは にちりんを いたてまつれば こうべ 7ぶんに わる.
犬は 師子を ほうれば 腸 くさる・ 修羅は 日輪を 射奉れば 頭 七分に 破る、.

いっさいの しんごんしは いぬと しゅらとの ごとく ほけきょうの ぎょうじゃは にちりんと ししとの ごとし.
一切の 真言師は 犬と 修羅との 如く・ 法華経の 行者は 日輪と 師子との 如し、.

こおりは にちりんの いでざる ときは かたき こと かねの ごとし.
冰は 日輪の 出でざる 時は 堅き 事 金の 如し、.

ひは みずの なき ときは あつき こと くろがねを やけるが ごとし.
火は 水の なき 時は あつき 事・鉄を やけるが 如し、.

しかれども なつの ひに あいぬれば けんぴょうの とけやすさ あつき ひの みずに あいて きえやすさ.
然れども 夏の 日に あひぬれば 堅冰の とけやすさ・あつき 火の 水に あひて・きへやすさ、.

いっさの しんごんしは けしきの とうとげさ ちえの かしこげさ.
一切の 真言師は 気色の たうとげさ・ 智慧の かしこげさ・.

にちりんを みざる ものの かたき こおりを たのみ みずを みざる ものの ひを たのめるが ごとし.
日輪を みざる 者の 堅き 冰を たのみ・ 水を みざる 者の 火を たのめるが 如し。.

とうせいの ひとびとの もうここくを みざりし ときの おごりは ごらん ありしように かぎりも なかりし ぞかし.
当世の 人人の 蒙古国を みざりし 時の おごりは 御覧 ありしやうに・かぎりも なかりし ぞかし、.

こぞの 10がつ よりは 1にんも おごる もの なし.
去年の 十月 よりは・ 一人も・ おごる 者 なし、.

きこしめしし ように にちれん 1にん ばかり こそ もうせしが.
きこしめしし・ やうに 日蓮 一人 計り こそ 申せしが・.

よせてだに きたる ほど ならば おもてを あわする ひとも あるべからず.
よせてだに・ きたる 程 ならば 面を あはする 人も・あるべからず、.

ただ さるの いぬを おそれ かえるの へびを おそるるが ごとく なるべし.
但 さるの 犬を をそれ・ かゑるの 蛇を・ をそるるが 如く なるべし、.

これ ひとえに しゃかぶつの おんつかいたる ほけきょうの ぎょうじゃを.
是れ 偏に 釈伽仏の 御使いたる 法華経の 行者を・.

いっさいの しんごんし ねんぶつしゃ りっそう とうに にくませて われと そんじ.
一切の 真言師・ 念仏者・ 律僧 等に・ にくませて 我と 損じ、.

ことさらに てんの にくまれを かおれる くになる ゆえに みな ひと おくびょうに なれるなり.
ことさらに 天の にくまれを・かほれる 国なる 故に 皆 人・ 臆病に なれるなり、.

たとえば ひが みずを おそれ きが かねを おじ.
譬えば 火が 水を おそれ・ 木が 金を おぢ・.

きじが たかを みて たましいを うしない ねずみが ねこに せめらるるが ごとし.
雉が 鷹をみて 魂を 失ひ・ ねずみが 猫に・せめらるるが 如し、.

1にんも たすかる もの あるべからず.
一人も・ たすかる 者 あるべからず、.

その ときは いかが せさせ たまうべき.
其の 時は・ いかが せさせ 給うべき、.

いくさには だいしょうぐんを たましいとす だいしょうぐん おくしぬれば つわもの おくびょう なり.
軍には 大将軍を 魂とす 大将軍 をくしぬれば 歩兵 臆病 なり。.

にょにんは おとこを たましいとす おとこ なければ にょにん たましい なし.
女人は 夫を 魂とす・ 夫 なければ 女人 魂 なし、.

この よに おとこ ある にょにんすら よの なか わたりがとう みえて そうろうに.
此の 世に 夫 ある 女人すら 世の 中 渡りがたふ みえて 候に、.

たましいも なくして よを わたらせ たまうが.
魂も なくして 世を 渡らせ 給うが・.

たましいある にょにんにも すぐれて しんちゅう かいがいしく おわする うえ.
魂ある 女人にも すぐれて 心中 かひがひしく おはする 上・.

かみにも こころを いれ ほとけをも あがめさせ たまえば ひとに すぐれて おわする にょにん なり.
神にも 心を 入れ 仏をも あがめさせ 給へば 人に 勝れて おはする 女人 なり、.

→a1219

b1220

かまくらに そうらいし ときは ねんぶつしゃらは さておき そうらいぬ.
鎌倉に 候いし 時は 念仏者等は さてをき 候いぬ、.

ほけきょうを しんずる ひとびとは こころざし あるも なきも しられ そうらわざり しかども.
法華経を 信ずる 人人は 志 あるも・ なきも 知られ 候はざり しかども・.

ごかんきを かおりて さどの しままで ながされ しかば.
御勘気を・ かほりて 佐渡の 島まで 流され しかば.

とい とぶらう ひとも なかりしに にょにんの おんみとして かたがた おんこころざし ありし うえ.
問い 訪う 人も なかりしに・ 女人の 御身として・ かたがた 御志 ありし 上・.

われと きたり たまいし こと うつつ ならざる ふしぎ なり.
我と 来り 給いし 事 うつつ ならざる 不思議 なり、.

その うえ いまの もうで また もうす ばかりなし.
其の 上 いまの まうで 又 申す ばかりなし、.

さだめて かみも まもらせ たまい じゅうらせつも おんあわれみ ましますらん.
定めて 神も・ まほらせ 給ひ 十羅刹も 御あはれみ ましますらん、.

ほけきょうは にょにんの おんためには くらきに ともしび うみに ふね.
法華経は 女人の 御ためには 暗きに・ ともしび・ 海に 船・.

おそろしき ところには まもりと なるべき よし ちかわせ たまえり.
おそろしき 所には・ まほりと・ なるべき よし・ ちかはせ 給へり、.

らじゅうさんぞうは ほけきょうを わたし たまい しかば.
羅什三蔵は 法華経を 渡し 給い しかば.

びしゃもんてんのうは むりょうの へいしを して そうれいを おくりし なり.
毘沙門天王は 無量の 兵士を して 葱嶺を 送りし なり、.

どうしょうほっし のなかにして ほけきょうを よみしかば むりょうの とら きたりて しゅご しき.
道昭法師・野中にして 法華経を よみしかば 無量の 虎 来りて 守護 しき、.

これも また かれには かわる べからず.
此れも 又 彼には・ かはる べからず、.

ちには 36ぎ てんには 28しゅく まもらせ たまう うえ.
地には 三十六祇・ 天には 二十八宿 まほらせ 給う 上・.

ひとには かならず 2つの てん かげの ごとくに そいて そうろう.
人には 必ず 二つの 天・ 影の 如くに そひて 候、.

いわゆる 1をば どうしょうてんと いい 2をば どうみょうてんと もうす そうの かたに そいて ひとを しゅご すれば.
所謂 一をば 同生天と 云い 二をば 同名天と 申す 左右の 肩に そひて 人を 守護 すれば、.

とがなき ものをば てんも あやまつ こと なし.
失なき 者をば 天も あやまつ 事 なし・.

いわんや ぜんにんに おいてをや.
況や 善人に おひてをや、.

されば みょうらくだいし のたまわく.
されば 妙楽大師 のたまはく.

「かならず こころの かたきに よりて かみの まもり すなわち つよし」とう うんぬん.
「必ず 心の 固きに 仮りて 神の 守り 則ち 強し」等 云云、.

ひとの こころ かたければ かみの まもり かならず つよしと こそ そうらえ.
人の 心 かたければ 神の まほり 必ず つよしと こそ 候へ、.

これは おんために もうすぞ いにしえの おんこころざし もうす ばかりなし.
是は 御ために 申すぞ 古への 御心ざし 申す 計りなし・.

それ よりも いま いちじゅう ごうじょうに おんこころざし あるべし.
其 よりも 今 一重 強盛に 御志 あるべし、.

その ときは いよいよ じゅうらせつにょの おんまもりも つよかる べしと おぼすべし.
其の 時は 弥弥 十羅刹女の 御まほりも・ つよかる べしと・おぼすべし、.

ためしには たを ひく べからず.
例には 他を 引く べからず、.

にちれんをば にほんこくの かみ 1にんより しも ばんみんに いたるまで 1にんも なく あやまたんと せしかども.
日蓮をば 日本国の 上 一人より 下 万民に 至るまで 一人も なく あやまたんと・せしかども・.

いままで こうて そうろう ことは 1にん なれども こころの つよき ゆえ なるべしと おぼすべし.
今まで かうて 候 事は 一人 なれども 心の つよき 故 なるべしと・おぼすべし、.

1つ ふねに のり ぬれば せんどうの はかりごと わるければ いちどうに せんちゅうの しょにん そんじ.
一つ 船に 乗り ぬれば 船頭の はかり事 わるければ 一同に 船中の 諸人 損じ・.

また み つよき ひとも こころ かいなければ おおくの のうも むよう なり.
又 身 つよき 人も 心 かひなければ 多くの 能も 無用 なり、.

にほんこくには かしこき ひとびとは あるらめども たいしょうの はかりごと つたなければ かいなし.
日本国には・ かしこき 人人は あるらめども 大将の はかり事 つたなければ・ かひなし、.

いき つしま 9かこくの つわもの ならびに なんにょ おおく.
壹岐・ 対馬・ 九ケ国の つはもの 並に 男女 多く.

あるいは ころされ あるいは とらわれ あるいは うみに いり あるいは がけより おちしもの.
或は ころされ 或は とらはれ 或は 海に 入り 或は がけより おちしもの・.

いくせんまんと いうこと なし.
いくせんまんと 云う事 なし、.

また このたび よせなば さきには にるべくも あるべからず.
又 今度 よせなば 先には・ にるべくも・ あるべからず、.

きょうと かまくらとは ただ いき つしまの ごとく なるべし.
京と 鎌倉とは 但 壹岐・ 対馬の 如く なるべし、.

さきに したくして いづくへも にげさせ たまえ.
前に したくして・ いづくへも・ にげさせ 給へ、.

その ときは むかし にちれんを みじ きかじと もうせし ひとびとも たなごころを あわせ ほけきょうを しんずべし.
其の 時は 昔し 日蓮を 見じ 聞かじと 申せし 人人も 掌を あはせ 法華経を 信ずべし、.

ねんぶつしゃ ぜんしゅうまでも なんみょうほうれんげきょうと もうすべし.
念仏者・禅宗までも 南無妙法蓮華経と 申すべし、.

→a1220

b1221

そもそも ほけきょうを よくよく しんじたらん なんにょをば.
抑 法華経を よくよく 信じたらん 男女をば.

かたに にない せに おうべきよし きょうもんに みえて そうろう うえ.
肩に・になひ 背に・おうべきよし 経文に 見えて 候 上・.

くまらえんさんぞうと もうせし ひとをば もくぞうの しゃか おわせ たまいて そうらいし ぞかし.
くまらゑん三蔵と 申せし 人をば 木像の 釈迦 をわせ 給いて 候いし ぞかし、.

にちれんが こうべには だいかくせそん かわらせ たまいぬ むかしと いまと いちどう なり.
日蓮が 頭には 大覚世尊 かはらせ 給いぬ 昔と 今と 一同 なり、.

おのおのは にちれんが だんな なり いかでか ほとけに ならせ たまわざるべき.
各各は 日蓮が 檀那 なり 争か 仏に ならせ 給はざるべき。.

いかなる おとこを せさせ たまうとも ほけきょうの かたき ならば したがい たまう べからず.
いかなる 男を せさせ 給うとも 法華経の かたき ならば 随ひ 給う べからず、.

いよいよ ごうじょうの おんこころざし あるべし.
いよいよ 強盛の 御志 あるべし、.

こおりは みずより いでたれども みずよりも すさまじ.
冰は 水より 出でたれども 水よりも すさまじ、.

あおき ことは あい より いでたれども かさぬれば あい よりも いろ まさる.
青き 事は 藍 より 出でたれども・ かさぬれば 藍 よりも 色 まさる、.

おなじ ほけきょうにては おわすれども こころざしを かさぬれば.
同じ 法華経にては・ をはすれども 志を かさぬれば・.

たにん よりも いろ まさり りしょうも あるべきなり.
他人 よりも 色 まさり 利生も あるべきなり、.

きは ひに やかるれども せんだんの きは やけず.
木は 火に やかるれども 栴檀の 木は、やけず、.

ひは みずに けさるれども ほとけの ねはんの ひは きえず.
火は 水に けさるれども 仏の 涅槃の 火は きえず、.

はなは かぜに ちれども じょうごの はなは しぼまず.
華は 風に ちれども 浄居の 華は・ しぼまず・.

みずは だいかんばつに うすれども こうがに いりぬれば うせず.
水は 大旱魃に 失れども 黄河に 入りぬれば 失せず、.

だんみらおうと もうせし あくおうは がっしの そうの くびを きりしに とが なかり しかども.
檀弥羅王と 申せし 悪王は 月氏の 僧の 頚を 切りしに・ とが なかり しかども・.

ししそんじゃの くびを きりし とき かたなと てと ともに いちじに おちにき.
師子尊者の 頚を 切りし 時・ 刀と 手と 共に 一時に 落ちにき、.

ほっしゃみったらおうは けいずまじを やきし とき 12しんの ぼうに こうべ わられにき.
弗沙密多羅王は 鶏頭摩寺を 焼し 時・ 十二神の 棒に かふべ わられにき、.

いま にほんこくの ひとびとは ほけきょうの かたきと なりて みを ほろぼし くにを ほろぼしぬる なり.
今 日本国の 人人は 法華経の・ かたきと・ なりて 身を 亡ぼし 国を 亡ぼしぬる なり、.

こう もうせば にちれんが じさんなりと こころえぬ ひとは もうすなり.
かう 申せば 日蓮が 自讚なりと 心えぬ 人は 申すなり、.

さには あらず これを いわずば ほけきょうの ぎょうじゃには あらず.
さには・ あらず 是を 云わずば 法華経の 行者には あらず、.

また いう ことの あとに あえばこそ ひとも しんずれ.
又 云う 事の 後に あへばこそ 人も 信ずれ、.

こう ただ かき おきなばこそ みらいの ひとは ち ありけりとは しり そうらわんずれ.
かう ただ・ かき をきなばこそ 未来の 人は 智 ありけりとは・ しり 候はんずれ、.

また しんきょうほうじゅう ししんぐほうと のべて そうらえば みは かろければ ひとは うちはり にくむとも.
又 身軽法重・死身弘法と のべて 候ば 身は 軽ければ 人は 打ちはり 悪むとも.

ほうは おもければ かならず ひろまるべし.
法は 重ければ 必ず 弘まるべし、.

ほけきょう ひろまるならば しかばね かえって おもく なるべし.
法華経 弘まるならば 死かばね 還つて 重く なるべし、.

かばね おもく なるならば この かばねは りしょう あるべし.
かばね 重く なるならば 此の かばねは 利生 あるべし、.

りしょう あるならば いまの はちまんだいぼさつと いわわるるように いわうべし.
利生 あるならば 今の 八幡大菩薩と・ いははるるやうに・ いはうべし、.

その ときは にちれんを くようせる なんにょは たけのうち わかみや なんどの ように あがめらるべしと おおぼしめせ.
其の 時は 日蓮を 供養せる 男女は 武内・若宮 なんどの やうに あがめらるべしと・おぼしめせ、.

そもそも 1にんの もうもくを あけて そうらわん くどくすら もうす ばかりなし.
抑 一人の 盲目を あけて 候はん 功徳すら 申す ばかりなし、.

いわんや にほんこくの いっさいしゅじょうの まなこを あけて そうらわん くどくをや.
況や 日本国の 一切衆生の 眼を あけて 候はん 功徳をや、.

いかに いわんや いちえんぶだい してんげの ひとの まなこの しいたるを あけて そうらわんをや.
何に 況や 一閻浮提・四天下の 人の 眼の しゐたるを・ あけて 候はんをや、.

ほけきょうの だい4に いわく
法華経の 第四に 云く

「ほとけ めつどの のちに よく その ぎを げせんは これ もろもろの てんにん せけんの まなこ なり」とう うんぬん.
「仏 滅度の 後に 能く 其の 義を 解せんは 是 諸の 天人 世間之 眼 なり」等云云、.

ほけきょうを たもつ ひとは いっさいせけんの てんにんの まなこ なりと とかれて そうろう.
法華経を 持つ 人は 一切世間の 天人の 眼 なりと 説かれて 候、.

→a1221

b1222

にほんこくの ひとの にちれんを あだみ そうろうは いっさいせけんの てんにんの まなこを くじる ひ なり.
日本国の 人の 日蓮を あだみ 候は 一切世間の 天人の 眼を くじる 人 なり、

されば てんも いかり ひびに てんぺんあり ちも いかり つきづきに ちよう かさなる.
されば 天も いかり 日日に 天変あり 地も いかり 月月に 地夭 かさなる、.

てんの たいしゃくは やかんを うやまいて ほうを ならい しかば いまの きょうしゅ しゃくそんと なり たまい.
天の 帝釈は 野干を 敬いて 法を 習い しかば 今の 教主 釈尊と なり 給い・.

せっせんどうじは おにを しと せしかば いまの 3がいの しゅと なる.
雪山童子は 鬼を 師と せしかば 今の 三界の 主と なる、.

だいしょう しょうにんは かたちを いやしみて ほうを すてざりけり.
大聖・ 上人は 形を 賤みて 法を 捨てざりけり、.

いま にちれん おろかなりとも やかんと おにとに おとる べからず.
今 日蓮 おろかなりとも 野干と 鬼とに 劣る べからず、.

とうせいの ひと いみじくとも たいしゃく せっせんどうじに まさる べからず.
当世の 人 いみじくとも 帝釈・雪山童子に 勝る べからず、.

にちれんが みの いやしきに ついて ぎょうげんを すてて そうろう ゆえに くに すでに ほろびんと する かなしさよ.
日蓮が 身の 賤きに ついて 巧言を 捨てて 候 故に 国 既に 亡びんと する・ かなしさよ、.

また にちれんを ふびんと もうしぬる でしども をも たすけ がたからん ことこそ なげかしくは おぼえ そうらえ.
又 日蓮を 不便と 申しぬる 弟子ども をも・たすけ がたからん 事こそ・ なげかしくは 覚え 候へ。.

いかなる ことも しゅったい そうらわば これへ おんわたり あるべし み たてまつらん.
いかなる 事も 出来 候はば 是へ 御わたり あるべし 見 奉らん・.

さんちゅうにて ともに うえじにし そうらわん.
山中にて 共に うえ死にし 候はん、.

また おとごぜんこそ おとなしく なりて そうろうらめ.
又 乙御前こそ おとなしく なりて 候らめ、.

いかに さかしく そうろうらん またまた もうすべし.
いかに さかしく 候らん、又又 申すべし。.

8がつ 4か にちれん かおう.
八月四日 日蓮 花押.

おとごぜんへ.
乙御前へ.

→a1222

 
→a1218
→c1218
 ホームページトップ
inserted by FC2 system