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千日尼御前御返事(せんにちあま ごぜん ごへんじ)
別名、真実報恩経事(しんじつほうおんきょうの こと)
日蓮大 聖人 57歳御作.

 

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せんにちあま ごぜん ごへんじ.
千日尼 御前 御返事.

こうあん がんねん 7がつ 28にち 57さい おんさく.
弘安 元年 七月 二十八日 五十七歳 御作.

あたう あぶつぼうあま.
与 阿仏房尼.

こうあん がんねん たいさい つちのえとら 7がつ 6か.
弘安 元年 太歳 戊寅 七月 六日・.

さどの くにより せんにちあまと もうす ひと.
佐渡の 国より 千日尼と 申す 人、.

おなじく にほんこく こうしゅう はきいごうの みのぶさんと もうす みやまへ.
同じく 日本国甲州・波木井郷の 身延山と 申す 深山へ.

おなじき おっとの あぶつぼうを つかいとして おくり たまう おんふみに いわく.
同じき 夫の 阿仏房を 使として 送り 給う 御文に 云く、.

にょにんの ざいしょうは いかがと ぞんじ そうらえども.
女人の 罪障は・ いかがと 存じ 候へども.

ごほうもんに ほけきょうは にょにんの じょうぶつを さきと するぞと そうらいしを.
御法門に 法華経は 女人の 成仏を・ さきと するぞと 候いしを.

ばんじは たのみ まいらせ そうらいて とう うんぬん.
万事は・ たのみ・まいらせ 候いて 等 云云。.

それ ほけきょうと もうし そうろう おんきょうは たれ ほとけの とき たまいて そうろうぞと おもい そうらえば.
夫れ 法華経と 申し 候・ 御経は 誰れ 仏の 説き 給いて 候ぞと をもひ 候へば・.

この にほんこくより にし かんどより また にし りゅうしゃ そうれいと もうす よりは また はるか にし.
此の 日本国より 西・ 漢土より 又 西・ 流沙・ 葱嶺と 申す よりは 又 はるか 西・.

がっしと もうす くにに じょうぼんのうと もうしける だいおうの たいし.
月氏と 申す 国に 浄飯王と 申しける 大王の 太子・.

19の とし くらいを すてさせ たまいて だんどくせんと もうす やまに いり ごしゅっけ.
十九の 年・ 位を すてさせ 給いて 檀どく山と 申す 山に 入り 御出家・.

30にして ほとけと ならせ たまい.
三十にして 仏と ならせ 給い・.

みは こんじきと へんじ たましいは さんぜを かがみさせ たまう.
身は 金色と 変じ 神は 三世を かがみさせ 給う、.

すぎにし こと きたるべき こと かがみに かけさせ たまいて おわせし ほとけの 50よねんが あいだ.
すぎにし 事・ 来るべき 事・ かがみに かけさせ 給いて おはせし 仏の・五十余年が 間・.

いちだい いっさいの きょうぎょうを とき おかせ たまう.
一代・ 一切の 経経を 説き おかせ 給う、.

この いっさいの きょうぎょう ほとけの めつご 1せんねんが あいだ.
此の 一切の 経経・ 仏の 滅後 一千年が 間・.

がっしこくに ようやく ひろまり そうらいしかども.
月氏国に・ やうやく ひろまり 候いしかども・.

いまだ かんど にほんこく とうへは きたり そうらわず、.
いまだ 漢土・ 日本国 等へは 来り 候はず、.

ほとけ めつどご いっせんじゅうごねんと もうせしに かんどへ ぶっぽう わたり はじめて そうらい しかども.
仏 滅度後・ 一千十五年と 申せしに 漢土へ 仏法 渡り はじめて 候い しかども.

また いまだ ほけきょうは わたり たまわず.
又 いまだ 法華経は わたり 給はず。.

ぶっぽう かんどに わたりて 200よねんに およんで がっしと かんどとの ちゅうげんに きじこくと もうす くに あり.
仏法・漢土に わたりて 二百余年に 及んで 月氏と 漢土との 中間に 亀じ国と 申す 国 あり、.

かの くにの うちに くまらえんさんぞうと もうせし ひとの みでしに くまらじゅうと もうせし ひと.
彼の 国の 内に 鳩摩羅えん三蔵と 申せし 人の 御弟子に 鳩摩羅什と 申せし 人・.

かの くにより がっしに いり しゅりやそまさんぞうと もうせし ひとに この ほけきょうを さずかり たまいき.
彼の 国より 月氏に 入り・ 須利耶蘇磨三蔵と 申せし 人に 此の 法華経を さづかり 給いき、.

その きょうを さづけし ときの みことばに いわく.
其の 経を 授けし 時の 御語に 云く.

この ほけきょうは とうほくの くにに えん ふかしと うんぬん.
此の 法華経は 東北の 国に 縁 ふかしと 云云、.

この みことばを たもちて がっしより とうほう かんどへは わたし たまいし なり.
此の 御語を 持ちて 月氏より 東方・ 漢土へは わたし 給いし なり。.

かんどには ぶっぽう わたりて 2ひゃくよねん こうしんのうの ぎょうに わたりて そうらいき.
漢土には 仏法 わたりて 二百余年・ 後秦王の 御宇に 渡りて 候いき、.

にほんこくには にんのう だい30だい きんめいてんのうの みよしろしめす 13ねん みずえのさる 10がつ 13にち かのととりの ひ .
日本国には 人王 第三十代・ 欽明天皇の 御宇治 十三年・壬申 十月 十三日 辛酉の 日・.

これより にし くだらこくと もうす くにより せいめいおう にほんこくに ぶっぽうを わたす.
此れより 西・ 百済国と 申す 国より 聖明皇・ 日本国に 仏法を わたす.

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これは かんどに ぶっぽう わたりて 400ねん ほとけ めつご いっせんよんひゃくよねん なり.
此れは 漢土に 仏法 わたりて 四百年・ 仏 滅後 一千四百余年 なり、.

その なかにも ほけきょうは ましまし しかども.
其の 中にも 法華経は ましまし しかども.

にんのう だい32だい ようめいてんのうの たいし しょうとくたいしと もうせし ひと かんどへ つかいを つかわして.
人王 第三十二代・ 用明天皇の 太子・ 聖徳太子と 申せし 人・ 漢土へ 使を・ つかわして.

ほけきょうを とりよせ まいらせて にほんこくに ぐづうし たまいき.
法華経を・ とりよせ・ まいらせて 日本国に 弘通し 給いき、.

それより このかた 700よねん なり.
それより・ このかた 七百余年 なり、.

ほとけ めつどご すでに 2230よねんに なり そうろう うえ.
仏 滅度後 すでに 二千二百三十余年に なり 候 上・.

がっし かんど にほんの やまやま かわがわ うみうみ さとざと とおく へだたり ひとびと.
月氏・ 漢土・ 日本の 山山・ 河河・ 海海・ 里里・ 遠く へだたり 人人・.

こころごころ くにぐに おのおの べつべつにして ことば かわり しなことなれば.
心心・ 国国・各各・ 別別にして 語 かわり・ しなことなれば、.

いかでか ぶっぽうの みこころをば われら ぼんぷは わきまえ そうろうべき.
いかでか 仏法の 御心をば 我等 凡夫は 弁え 候べき、.

ただ きょうぎょうの もんじを ひきあわせてこそ しるべきに.
ただ 経経の 文字を 引き合せてこそ 知るべきに・.

いっさいきょうは ようように そうらえども ほけきょうと もうす おんきょうは 8かん まします.
一切経は やうやうに 候へども 法華経と 申す 御経は 八巻 まします・.

るつうに ふげんぎょう じょぶんの むりょうぎきょう かく1かん いじょう この おんきょうを ひらき み まいらせ そうらえば.
流通に 普賢経・ 序文の 無量義経・ 各一巻 已上・ 此の 御経を 開き 見 まいらせ 候へば.

あきらかなる かがみを もって わが おもてを みるが ごとし.
明かなる 鏡を もつて 我が 面を 見るが・ ごとし、.

ひ いでて そうもくの いろを わきまえるに にたり.
日 出でて 草木の 色を 弁えるに にたり、.

じょほんの むりょうぎきょうを みみ まいらせ そうらえば.
序品の 無量義経を 見み まいらせ 候へば.

「40よねん いまだ しんじつを あらわさず」と もうす きょうもん あり.
「四十余年 未だ 真実を 顕わさず」と申す 経文 あり、.

ほけきょうの だい1の まき ほうべんぽんの はじめに.
法華経の 第一の 巻・方便品の 始めに.

「せそんの ほうは ひさしき のちに かならず まさに しんじつを とき たもうべし」と もうす きょうもん あり.
「世尊の 法は 久しき 後に 要らず 当に 真実を 説き たもうべし」と申す 経文 あり、.

だい4の まきの ほうとうほんには「みょうほけきょう かいぜしんじつ」と もうす みょうもん あり.
第四の 巻の 宝塔品には「妙法華経・皆是真実」と申す 明文 あり、.

だい7の まきには「ぜっそう ぼんてんに いたる」と もうす きょうもん かくかくたり.
第七の 巻には「舌相 梵天に 至る」と申す 経文 赫赫たり、.

その ほかは この きょうより ほかの さき のち ならべる きょうぎょうをば ほしに たとえ こうがに たとえ しょうおうに たとえ しょうせんに たとえたり.
其の 外は 此の 経より 外の さき のち ならべる 経経をば 星に 譬へ・ 江河に 譬へ・ 小王に 譬へ・ 小山に 譬へたり、.

ほけきょうをば つきに たとえ ひに たとえ たいかい だいせん だいおうとうに たとえ たまえり.
法華経をば 月に 譬へ・ 日に 譬へ・ 大海・大山・ 大王等に 譬へ 給へり、.

この ことばは わたくしの ことばには あらず.
此の 語は 私の 言には 有らず.

みな にょらいの きんげん なり じっぽうの しょぶつの ごひょうじょうの みことば なり.
皆 如来の 金言 なり・十方の 諸仏の 御評定の 御言 なり、.

いっさいの ぼさつ にじょう ぼんてん たいしゃく いまの てんに かかりて みょうきょうの ごとくに まします.
一切の 菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の 天に 懸りて 明鏡の ごとくに まします、.

にちがつも みたまいき ききたまいき その にちがつの みことばも この きょうに のせられて そうろう.
日月も 見給いき 聞き給いき 其の 日月の 御語も 此の 経に のせられて 候、.

がっし かんど にほんこくの ふるき かみたちも みな その ざに つらなり たまいし かみがみ なり.
月氏・漢土・日本国の ふるき 神たちも 皆 其の 座に つらなり 給いし 神神 なり、.

てんしょうだいじん はちまんだいぼさつ くまの すずか とうの にほんこくの かみがみも あらそい たまう べからず.
天照太神・八幡大菩薩・熊野・すずか 等の 日本国の 神神も あらそひ 給う べからず、.

この きょうもんは いっさいきょうに すぐれたり.
此の 経文は 一切経に 勝れたり.

ち はしる ものの おうたり ししおうの ごとし そら とぶ ものの おうたり わしの ごとし.
地 走る 者の 王たり 師子王の ごとし・ 空 飛ぶ 者の 王たり 鷲の ごとし、.

なむあみだぶつきょうとうは きじの ごとし うさぎの ごとし.
南無阿弥陀仏経等は きじの ごとし 兎の ごとし・.

わしに つかまれては なみだを ながし ししに せめられては はらわたを たつ.
鷲に つかまれては 涙を ながし・ 師子に せめられては 腸わたを たつ、.

ねんぶつしゃ りつそう ぜんそう しんごんしとう また かくのごとし、.
念仏者・律僧・禅僧・真言師等 又 かくのごとし、.

ほけきょうの ぎょうじゃに あいぬれば いろを うしない たましいを けすなり.
法華経の 行者に 値いぬれば・ いろを 失い 魂を けすなり。.

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かかる いみじき ほけきょうと もうす おんきょうは いかなる ほうもんぞと もうせば.
かかる いみじき 法華経と 申す 御経は・ いかなる 法門ぞと 申せば、.

いちの まき ほうべんぽんより うちはじめて ぼさつ にじょう ぼんぷ みな ほとけに なり たまうようを とかれて そうらえども.
一の 巻 方便品より うちはじめて 菩薩・ 二乗・凡夫・皆 仏に なり 給うやうを・ とかれて 候へども.

いまだ その しるし なし、.
いまだ 其の しるし なし、.

たとえば はじめたる まろうどが すがた うるわしくして こころも いさぎよく よく くちも きいて そうらえば.
設えば 始めたる 客人が 相貌 うるわしくして 心も・ いさぎよく・ よく 口も きいて 候 へば・.

いうこと うたがい なけれども さきも みぬ ひと なれば.
いう事 疑 なけれども・ さきも 見ぬ 人 なれば・.

いまだ あらわれたる こと なければ ことば のみにては しんじがたき ぞかし.
いまだ・ あらわれたる 事 なければ 語 のみにては 信じがたき ぞかし、.

そのとき ことばに まかせて おおいなる こと たびたび あい そうらえば.
其の時 語に まかせて 大なる 事・ 度度 あひ 候へば・.

さては のちの ことも たのもしなんど もうす ぞかし、.
さては 後の 事も・ たのもしなんど 申す ぞかし、.

いっさい しんじて しんぜられ ざりしを だい5の まきに そくしんじょうぶつと もうす いちきょう だい1の かんじん あり.
一切 信じて 信ぜられ ざりしを 第五の 巻に 即身成仏と 申す 一経 第一の 肝心 あり、.

たとえば くろき ものを しろく なす こと うるしを ゆきと なし.
譬へば くろき 物を 白く なす 事・ 漆を 雪と なし・.

ふじょうを しょうじょうに なす こと じょくすいに にょいしゅを いれたるが ごとし.
不浄を 清浄に なす 事・ 濁水に 如意珠を 入れたるが ごとし、.

りゅうにょと もうせし くちなわを げんしんに ほとけに なして ましましき.
竜女と 申せし 小蛇を 現身に 仏に なして ましましき、.

この ときこそ いっさいの なんしの ほとけに なる ことをば うたがう ものは そうらわざりしか.
此の 時こそ 一切の 男子の 仏に なる 事をば 疑う 者は 候はざりしか、.

されば この きょうは にょにんじょうぶつを てほんとして とかれたりと もうす.
されば 此の 経は 女人成仏を 手本として とかれたりと 申す、.

されば にほんこくに ほけきょうの せいぎを ぐづうし はじめましませし えいざんの こんぽん.
されば 日本国に 法華経の 正義を 弘通し 始めましませし 叡山の 根本.

でんぎょうだいしの この ことを しゃくし たまうには.
伝教大師の 此の 事を 釈し 給うには.

「のうけ しょけ ともに りゃっこう なし みょうほう きょうりき そくしんじょうぶつす」とう.
「能化 所化 倶に 歴劫 無し 妙法 経力 即身成仏す」等、.

かんどの てんだいちしゃだいし ほけきょうの せいぎを よみはじめ たまいしには.
漢土の 天台智者大師・法華経の 正義を よみはじめ 給いしには.

「たきょうは ただ おとこに きして おんなに きせず ないし こんきょうは みな きす」とう うんぬん.
「他経は 但 男に 記して 女に 記せず 乃至 今経は 皆 記す」等 云云、.

これは いちだいしょうぎょうの なかには ほけきょう だい1 ほけきょうの なかには にょにんじょうぶつ だい 1なりと ことわらせ たまうにや.
此れは 一代聖教の 中には 法華経 第一・法華経の 中には 女人成仏 第一 なりと・ことわらせ 給うにや、.

されば にほんの いっさいの にょにんは ほけきょうより ほかの いっさいきょうには にょにん じょうぶつせずと きらうとも.
されば 日本の 一切の 女人は 法華経より 外の 一切経には 女人 成仏せずと 嫌うとも・
.
ほけきょうに だにも にょにんじょうぶつ ゆるされなば なにか くるしかるべき。.
法華経に だにも 女人成仏 ゆるされなば・ なにか くるしかるべき。.

しかるに にちれんは うけがたくして じんしんを うけ あいがたくして ぶっぽうに あいたてまつる.
しかるに 日蓮は・ うけがたくして 人身をうけ・ 値いがたくして 仏法に 値い奉る、.

いっさいの ぶっぽうの なかに ほけきょうに あい まいらせて そうろう.
一切の 仏法 の中に 法華経に 値い まいらせて 候、.

その おんとくを おもえば ふぼの おん こくしゅの おん いっさいしゅじょうの おん なり.
其の 恩徳を をもへば 父母の 恩・ 国主の 恩・ 一切衆生の 恩 なり、.

ふぼの おんの なかに じふをば てんに たとえ ひもをば だいちに たとえたり.
父母の 恩の 中に 慈父をば 天に 譬へ 悲母をば 大地に 譬へたり・.

いづれも わけがたし、
いづれも・わけがたし、

その なかにも ひもの だいおん ことに ほうじがたし.
其の 中にも 悲母の 大恩 ことに・ ほうじがたし、.

これを ほうぜんと おもうに げてんの 3ぷん 5てん こうきょう とうに よって ほうぜんと おもえば.
此れを 報ぜんと・ をもうに 外典の 三墳・ 五典・ 孝経 等に よて 報ぜんと・ をもへば.

げんざいを やしないて ごせを たすけがたし.
現在を・やしないて 後世を たすけがたし、.

みを やしない たましいを たすけず.
身を やしない 魂を たすけず・.

ないてんの ぶっぽうに いりて 5せん 7せんよかんの しょうじょう だいじょうは にょにんじょうぶつ かたければ ひもの おん ほうじ がたし.
内典の 仏法に 入りて 五千・七千余巻の 小乗・大乗は 女人成仏 かたければ 悲母の 恩 報じ がたし・.

しょうじょうは にょにんじょうぶつ いっこうに ゆるされず.
小乗は 女人成仏・ 一向に 許されず、.

だいじょうきょうは あるいは じょうぶつ あるいは おうじょうを ゆるしたるようなれども ほとけの かりごとにて じつじ なし.
大乗経は 或は 成仏・或は 往生を 許たるやうなれども 仏の 仮言にて 実事 なし、.

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ただ ほけきょう ばかりこそ にょにんじょうぶつ ひもの おんを ほうずる まことの ほうおんきょうにて そうらえと み そうらい しかば.
但 法華経 計りこそ 女人成仏・悲母の 恩を 報ずる 実の 報恩経にて 候へと 見 候い しかば・.

ひもの おんを ほうぜんために この きょうの だいもくを いっさいの にょにんに となえさせんと がんす.
悲母の 恩を 報ぜんために 此の 経の 題目を 一切の 女人に 唱えさせんと 願す、.

それに にほんこくの いっさいの にょにんは かんどの ぜんどう にほんの えしん ようかん ほうねんらに すかされて せんと すべきに.
其れに 日本国の 一切の 女人は 漢土の 善導・日本の 慧心・永観・法然等に すかされて 詮と すべきに・.

なんみょうほうれんげきょうをば いっこくの いっさいの にょにん 1にんも となうること なし.
南無妙法蓮華経をば 一国の 一切の 女人・ 一人も 唱うること なし、.

ただ なむあみだぶつと いちにちに 1ぺん 10ぺん 100せんまんおくへん ないし 3まん  10まんべん いっしょうが あいだ ちゅうや 12じに また たじ なし.
但 南無阿弥陀仏 と一日に 一返・ 十返・ 百千万億反・ 乃至三万・ 十万反・ 一生が 間・ 昼夜 十二時に 又 他事 なし、.

どうしん けんごなる にょにんも また あくにんなる にょにんも みだねんぶつを もとと せり.
道心 堅固なる 女人も 又 悪人なる 女人も 弥陀念仏を 本と せり、.

わずかに ほけきょうを ことと するようなる にょにんも つき まつまでの てずさび おもわしき おとこの ひまに こころ ならず.
わづかに 法華経を ことと するやうなる 女人も 月 まつまでの てずさび・をもわしき 男の ひまに 心 ならず.

こころざし なき おとこに あうが ごとし.
心ざし なき 男に あうが ごとし。.

されば にほんこくの いっさいの にょにん ほけきょうの みこころに かなうは 1にんも なし.
されば 日本国の 一切の 女人・ 法華経の 御心に 叶うは 一人も なし、.

わが ひもに せんと すべき ほけきょうをば となえずして みだに こころを かけば.
我が 悲母に 詮と すべき 法華経をば 唱えずして 弥陀に 心を かけば・.

ほけきょうは もと ならねば たすけ たまう べからず、.
法華経は 本 ならねば・ たすけ 給う べからず、.

みだねんぶつは にょにん たすくるの ほうに あらず.
弥陀念仏は 女人 たすくるの 法に あらず.

かならず じごくに おち たまうべし、.
必ず 地獄に 堕ち 給うべし、.

いかんがせんと なげきし ほどに わが ひもを たすけんが ために.
いかんがせんと・なげきし 程に 我が 悲母を たすけんが ために・.

みだねんぶつは むけんじごくの ごう なり.
弥陀念仏は 無間地獄の 業 なり・.

5ぎゃくには あらざれども 5ぎゃくに すぎたり.
五逆には・ あらざれども 五逆に すぎたり、.

ふぼを ころす ひとは その にくしんをば やぶれども ふぼを ごしょうに むけんじごくには いれず.
父母を 殺す 人は 其の 肉身をば・やぶれども 父母を 後生に 無間地獄には 入れず、.

いま にほんこくの にょにんは かならず ほけきょうにて ほとけに なるべきを.
今 日本国の 女人は 必ず 法華経にて 仏に なるべきを・.

たぼらかして いっこうに なむあみだぶつに なしぬ、.
たぼらかして 一向に 南無阿弥陀仏に なしぬ、.

あく ならざれば すかされぬ、ほとけに なる たね ならざれば ほとけには ならず.
悪 ならざれば すかされぬ、仏に なる 種 ならざれば 仏には ならず・.

みだねんぶつの しょうぜんを もって ほけきょうの だいぜんを うしなう.
弥陀念仏の 小善を もつて 法華経の 大善を 失う・.

しょうぜんの ねんぶつは だいあくの 5ぎゃくに すぎたり.
小善の 念仏は 大悪の 五逆に すぎたり、.

たとえば しょうへいの まさかどは かんとう 8かこくを うたえ.
譬へば 承平の 将門は 関東 八箇国を うたへ・.

てんぎの さだとうは おうしゅうを うちとどめし.
天喜の 貞任は 奥州を うちとどめし・.

たみを おうへ つうせざりしかば ちょうてきと なりて ついに ほろぼされぬ.
民を 王へ 通せざりしかば 朝敵と なりて ついに ほろぼされぬ、.

これらは 5ぎゃくに すぎたる むほん なり.
此等は 五逆に すぎたる 謀反 なり。.

いま にほんこくの ぶっぽうも また かくの ごとし いろ かわれる むほん なり.
今 日本国の 仏法も 又 かくの ごとし 色 かわれる 謀反 なり、.

ほけきょうは だいおう だいにちきょう かんむりょうじゅきょう しんごんしゅう じょうどしゅう ぜんしゅう りつそうらは.
法華経は 大王・ 大日経・ 観無量寿経・ 真言宗・ 浄土宗・ 禅宗・ 律僧等は.

かれがれの しょうきょうに よって ほけきょうの だいおんてきと なりぬるを.
彼れ彼れの 小経に よて 法華経の 大怨敵と なりぬるを・.

にほんの いっさいの にょにんらは わが こころの おろかなるをば しらずして.
日本の 一切の 女人等は 我が 心の をろかなるをば 知らずして.

われを たすくる にちれんを かたきと おもいて.
我を たすくる 日蓮を・ かたきと・ をもひて.

だいおんてきたる ねんぶつしゃ ぜん りつ しんごんしらを ぜんちしきと あやまてり.
大怨敵たる 念仏者・ 禅・ 律・ 真言師等を 善知識と あやまてり、.

たすけんと する にちれん かえりて だいおんてきと おもわるるゆえに.
たすけんと する 日蓮 かへりて 大怨敵と・ をもわるるゆへに・.

にょにん こぞりて こくしゅに ざんげんして いずの くにへ ながせし うえ また さどの くにへ ながされぬ.
女人 こぞりて 国主に 讒言して 伊豆の 国へ ながせし 上・又 佐渡の 国へ ながされぬ。.

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ここに にちれん ねがって いわく にちれんは まったく あやまり なし.
ここに 日蓮 願つて 云く 日蓮は 全く あやまり なし・.

たとい ひがごと なりとも にほんこくの いっさいの にょにんを たすけんと がんせる こころざしは すてがたかる べし.
設い 僻事 なりとも 日本国の 一切の 女人を 扶けんと 願せる 志は・すてがたかる べし、.

いかに いわんや ほけきょうの ままに もうす.
何に 況や 法華経の ままに 申す、.

しかるを いっさいの にょにんとう しんぜずば さでこそ あるべきに かえりて にちれんを うたする.
而るを 一切の 女人等・ 信ぜずば・ さでこそ 有るべきに・ かへりて 日蓮を うたする、.

にちれんが ひがごとか.
日蓮が 僻事か.

しゃか たほう じっぽうの しょぶつ ぼさつ にじょう ぼん しゃく してんとう いかに はからい たまうぞ、.
釈迦・ 多宝・ 十方の 諸仏・ 菩薩・ 二乗・ 梵・ 釈・ 四天等 いかに 計らい 給うぞ、.

にちれん ひがごと ならば その ぎを しめし たまえ.
日蓮 僻事 ならば 其の 義を 示し 給へ、.

ことには にちがってんは がんぜんの きょうがい なり.
ことには 日月天は 眼前の 境界 なり、.

また ぶつぜんにして きかせ たまえる うえ ほけきょうの ぎょうじゃを あだまん ものをば.
又 仏前にして きかせ 給える 上・法華経の 行者を あだまん ものをば.

「こうべ われて しちぶんと ならん」とうと ちかわせ たまいて そうらえば.
「頭 破れて 七分と 作らん」等と 誓わせ 給いて 候へば・.

いかんが そうろう べきと にちれん ごうじょうに せめ まいらせ そうろう ゆえに.
いかんが 候 べきと・ 日蓮 強盛に せめ まいらせ 候 ゆへに.

てん この くにを ばっす ゆえに この えきびょう しゅつげん せり、.
天 此の 国を 罰す ゆへに 此の 疫病 出現 せり、.

たこくより この くにを てん おおせつけて せめられる べきに りょうほうの ひと あまた しぬ べきに.
他国より 此の 国を 天 をほせつけて 責めらる べきに・ 両方の 人 あまた 死ぬ べきに・.

てんの おんはからいとして まず たみを ほろぼして ひとの てあしを きるが ごとくして.
天の 御計らいとして・ まづ 民を 滅ぼして 人の 手足を 切るが ごとくして.

だいじの かっせん なくして この くにの おうしん とうを せめ かたぶけて.
大事の 合戦 なくして・ 此の 国の 王臣 等を せめ かたぶけて.

ほけきょうの おんてきを ほろぼして しょうほうを ぐつう せんと なり.
法華経の 御敵を 滅ぼして 正法を 弘通 せんと なり。.

しかるに にちれん さどの くにへ ながされたり しかば.
而るに 日蓮・ 佐渡の 国へ 流されたり しかば.

かの くにの しゅごらは こくしゅの おんはからいに したがいて にちれんを あだむ.
彼の 国の 守護等は 国主の 御計らいに 随いて 日蓮を あだむ・.

ばんみんは その おおせに したがう.
万民は 其の 命に 随う、.

ねんぶつしゃ ぜん りつ しんごんしらは かまくら よりも いかにもして これへ わたらぬよう はかると もうし つかわし.
念仏者・ 禅・ 律・ 真言師等は 鎌倉 よりも・ いかにもして 此れへ・ わたらぬやう 計ると 申し つかわし・.

ごくらくじの りょうかんぼうらは むさしの ぜんじどのの わたくしの みぎょうしょを もうして.
極楽寺の 良観房等は 武蔵の 前司殿の 私の 御教書を 申して.

でしに もたせて にちれんを あだみなんと せしかば.
弟子に 持たせて 日蓮を・あだみなんと・せしかば・.

いかにも いのち たすかるべきようは なかりしに てんの おんはからいは さておきぬ.
いかにも 命 たすかるべきやうは・なかりしに・天の 御計らいは・さてをきぬ、.

じとう じとう ねんぶつしゃ ねんぶつしゃ とう.
地頭・ 地頭・ 念仏者・ 念仏者 等・.

にちれんが あんしつに ちゅうやに たち そいて かよう ひとも あるを まどわさんと せめしに.
日蓮が 庵室に 昼夜に 立ち そいて かよう 人も あるを・まどわさんと・ せめしに・.

あぼつぼうに ひつを しおわせ やちゅうに たびたび おんわたり ありしこと いつの よにか わすらむ.
阿仏房に ひつを・ しおわせ 夜中に 度度・御わたり ありし事 いつの 世にか・ わすらむ、.

ただ ひもの さどの くにに うまれかわりて あるか.
只 悲母の 佐渡 の国に 生れかわりて 有るか。.

かんどに はいこうと もうせし ひと おうの そう ありとて しんの しこうの ちょくせんを くだして いわく.
漢土に 沛公と 申せし 人・王の 相 有りとて 秦の 始皇の 勅宣を 下して 云く.

はいこう うちて まいらせん ものには ふじの しょうを おこなうべし.
沛公 打ちて・まいらせん 者には 不次の 賞を 行うべし、.

はいこうは さとの なかには かくれがたくして やまに いりて 7か ふたなのかなんど あるなり.
沛公は 里の 中には 隠れがたくして 山に 入りて 七日・二七日なんど 有るなり、.

その とき いのち すでに おわりぬ べかりしに.
其の 時 命 すでに・をわりぬ べかりしに.

はいこうの つま りょこうと もうせし ひとこそ さんちゅうを たずねて よりより いのちを たすけしが.
沛公の 妻女 呂公と 申せし 人こそ 山中を 尋ねて 時時 命を たすけしが.

かれは つま なれば なさけ すてがたし.
彼は 妻 なれば なさけ すてがたし、.

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b1314

これは ごせを おぼせずば なにしにか かくは おわすべき.
此れは 後世を をぼせずば・ なにしにか・ かくは・ おはすべき、.

また その ゆえに あるいは ところを おい あるいは かりょうを ひき あるいは いえを とられなんど せしに.
又 其の 故に 或は 所を をい 或は くわれうを ひき 或は 宅を・とられなんど せしに・.

ついに とおらせ たまいぬ.
ついに・ とをらせ 給いぬ、.

ほけきょうには かこに 10まんおくの ほとけを くようせる ひとこそ こんじょうには たいせぬとは みえて そうらえ.
法華経には 過去に 十万億の 仏を 供養せる 人こそ 今生には 退せぬとわ・みへて 候へ、.

されば 10まんおく くようの にょにん なり.
されば 十万億 供養の 女人 なり、.

その うえ ひとは みる まなこの まえには こころざし ありとも.
其の 上・ 人は 見る 眼の 前には 心ざし 有りとも・.

さしはなれぬれば こころは わすれずとも さでこそ そうろうに.
さしはなれぬれば・ 心は わすれずとも・ さでこそ 候に.

いぬる ぶんえい 11ねんより ことし こうあん がんねん までは すでに 5かねんが あいだ この さんちゅうに そうろうに.
去ぬる 文永 十一年より 今年 弘安 元年 までは すでに 五箇年が 間・此の 山中に 候に.

さどの くにより さんど まで おっとを つかわす、.
佐渡の 国より 三度 まで 夫を つかはす、.

いくらほどの おんこころざしぞ.
いくらほどの 御心ざしぞ.

だいちよりも あつく たいかい よりも ふかき おんこころざし ぞかし.
大地よりも あつく 大海 よりも ふかき 御心ざし ぞかし、.

しゃかにょらいは わが さったおうじたりし とき うえたる とらに みを かいし くどく.
釈迦如来 は我が 薩た王子たりし 時 うへたる 虎に 身を かいし 功徳・.

しびおうと あしり とき はとの ために みを かえし くどくをば わが すえの よ.
尸毘王と ありし 時・ 鳩の ために 身を かへし 功徳をば 我が 末の 代.

かくの ごとく ほけきょうを しんぜん ひとに ゆずらんと こそ.
かくの ごとく 法華経を 信ぜん 人に・ゆづらむと こそ.

たほう じっぽうの ほとけの みまえにては もうさせ たまいしか.
多宝・十方の 仏の 御前にては 申させ 給いしか。.

そのうえ ごしょうそくに いわく.
其の上 御消息に 云く.

あまが ちちの 13ねんは きたる 8がつ 11にち.
尼が 父の 十三年は 来る 八月 十一日.

また いわく ぜに 1かんもん とう うんぬん.
又 云く ぜに 一貫もん 等 云云、.

あまりの おんこころざしの せつに そうらえば.
あまりの 御心ざしの 切に 候へば・.

ありえて おわしますに したがいて ほけきょう 10かん おくりまいらせ そうろう.
ありえて 御はしますに 随いて 法華経 十巻を くりまいらせ 候、.

にちれんが こいしく おわせん ときは がくじょうぼうに よませて ごちょうもん あるべし.
日蓮が こいしく・ をはせん 時は 学乗房に よませて 御ちやうもん あるべし、.

この おんきょうを しるしとして ごしょうには おんたずね あるべし
此の 御経を・しるしとして 後生には 御たづね あるべし、.

そもそも こぞ ことしの ありさまは いかにか ならせ たまいぬらんと おぼつかなさに.
抑 去年 今年の ありさまは・いかにか・ならせ 給いぬらむと・をぼつかなさに.

ほけきょうに ねんごろに もうし そうらいつれども いまだ いぶかしく そうらいつるに.
法華経に ねんごろに 申し 候いつれども・いまだ いぶかしく 候いつるに.

7がつ 27にちの さるの ときに あぶつぼうを みつけて.
七月 二十七日の 申の 時に 阿仏房を 見つけて・.

あまごぜんは いかに こうにゅうどうどのは いかにと まづ といて そうらいつれば いまだ やまず.
尼ごぜんは・ いかに・ こう入道殿は いかにと・ まづ といて 候いつれば・ いまだ やまず、
.
こうにゅうどうどのは どうどうにて そうらいつるが わせは すでに ちかづきぬ.
こう入道殿は 同道にて 候いつるが・ わせは・ すでに・ ちかづきぬ・.

こは なし いかんがせんとて かえられ そうらいつると かたり そうらいし ときこそ.
こわなし・いかんがせんとて・かへられ 候いつると・かたり 候いし 時こそ.

もうもくの ものの まなこの あきたる.
盲目の 者の 眼の あきたる・.

しし たまえる ふぼの えんまぐうより おんおとづれの ゆめの うちに あるを ゆめにて よろこぶが ごとし.
死し 給える 父母の 閻魔宮より 御をとづれの・ 夢の 内に 有るを ゆめにて 悦ぶが ごとし、.

あわれ あわれ ふしぎなる ことかな.
あわれ あわれ ふしぎなる 事かな、.

これも かまくらも この かたの ものは この やまいにて しぬる ひとは すくなく そうろう.
此れも かまくらも 此の 方の 者は 此の 病にて 死ぬる 人は・ すくなく 候、.

おなじ ふねにて そうらえば いずれも たすかるべし とも おぼえず そうらいつるに.
同じ 船にて 候へば・ いづれも たすかるべし とも・をぼへず 候いつるに・.

ふね やぶれて たすけぶねに あえるか.
ふねやぶれて・ たすけぶねに 値えるか、.

また りゅうじんの たすけにて ことなく きしえ つけるかと こそ ふしぎがり そうらえ.
又 竜神の たすけにて 事なく 岸へ つけるかと・ こそ 不思議がり 候へ。.

さわのにゅうどうの こと なげく よし あまごぜんへ もうし つたえさせ たまえ.
さわの入道の 事 なげく よし 尼ごぜんへ 申し つたへさせ 給え、.

ただし にゅうどうの ことは もうし きり そうらいしかば おもい あわせ たまうらん.
ただし 入道の 事は 申し 切り 候いしかば・をもい 合せ 給うらむ、.

→a1314

b1315

いかに ねんぶつどう ありとも あみだぶつは ほけきょうの かたきをば たすけ たまう べからず.
いかに 念仏堂 ありとも 阿弥陀仏は 法華経の かたきをば・たすけ 給う べからず、.

かえりて あみだぶつの おんかたき なり.
かえりて 阿弥陀仏の 御かたき なり.

ごしょう あくどうに おちて くいられ そうらん こと あさまし.
後生 悪道に 堕ちて くいられ 候らむ 事 あさまし。.


ただし にゅうどうの どうの ろうにて いのちを たびたび たすけられたりし ことこそ.
ただし 入道の 堂の らうにて いのちを たびたび たすけられたりし 事こそ・.

いかに すべしとも おぼえ そうらわね.
いかに・すべしとも・をぼへ 候はね、.

がくじょうぼうを もって はかに つねづね ほけきょうを よませ たまえと かたらせ たまえ.
学乗房を もつて はかに つねづね 法華経を・ よませ 給えと・かたらせ 給え、.

それも かなうべしとは おぼえず.
それも 叶うべしとは をぼえず、.

さても あまの いかに たより なかるらんと.
さても 尼の いかに・ たより なかるらむと・.

なげくと もうしつたえさせ たまいそうらえ.
なげくと 申しつたへさせ 給い候へ、.

またまた もうすべし.
又又 申すべし。.

7がつ 28にち にちれん かおう.
七月 二十八日 日蓮 花押 .

さど こう あぶつぼうあま ごぜん.
佐渡 国府 阿仏房尼 御前.

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