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祈祷経 送状 (きとうきょう おくりじょう).
日蓮大 聖人 52歳御作.


 
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きとうきょう おくりじょう.
祈祷経 送状.

ぶんえい 10ねん しょうがつ 52さい おんさく.
文永 十年 正月 五十二歳 御作.

あたう さいれんぼう にちじょう.
与 最蓮房 日浄.

おれいの むね いさい うけたまわり そうらい おわんぬ.
御礼の 旨 委細 承はり 候 畢んぬ、.

かねては また まっぽうに はいって ほけきょうを たもち そうろう ものは.
兼ては 又 末法に 入つて 法華経を 持ち 候 者は.

3るいの ごうてきを こうむり そうらわん ことは めんはいの とき おおむね もうし そうらい おわんぬ.
三類の 強敵を 蒙り 候はん 事は 面拝の 時 大概 申し 候 畢んぬ、.

ほとけの きんげんにて そうろう うえは ふしんを いたす べからず そうろうか.
仏の 金言にて 候 上は 不審を 致す べからず 候か、.

しからば すなわち にちれんも この ほけきょうを しんじ たてまつり そうらいて のちは.
然らば 則 日蓮も 此の 法華経を 信じ 奉り 候て 後は.

あるいは こうべに きずを こうむり あるいは うたれ あるいは おわれ あるいは くびの ざに のぞみ あるいは るざい せられ そうらいし ほどに.
或は 頭に 疵を 蒙り 或は 打たれ 或は 追はれ 或は 頚の 座に 臨み 或は 流罪 せられ 候し 程に.

けっくは この しままで おんる せられ そうらいぬ.
結句は 此の 嶋まで 遠流 せられ 候ぬ。.

いかなる じゅうざいの ものも げんざい ばかり こそ つみ かせられ そうらえ.
何なる 重罪の 者も 現在 計り こそ 罪 科せられ 候へ、.

にちれんは さんぜの だいなんに あい そうらいぬと ぞんじ そうろう.
日蓮は 三世の 大難に 値い 候ぬと 存し 候、.

その ゆえは げんざいの だいなんは いまの ごとし.
其の 故は 現在の 大難は 今の 如し、.

かこの なんは とうせいの しょにん とうが もうす ごとくば.
過去の 難は 当世の 諸人 等が 申す 如くば、.

にょらい ざいせの ぜんしょう くぎゃり とうの だいあくにんが じゅうざいの よしゅうを しっせず して.
如来 在世の 善星・倶伽利等の 大悪人が 重罪の 余習を 失せず して.

にょらいの めつごに うまれて かくの ごとく ぶっぽうに かたきを なすと もうし そうろう これなり.
如来の 滅後に 生れて 是くの 如く 仏法に 敵を なすと 申し 候 是なり、.

つぎに みらいの なんを もうし そうらわば とうせの しょにんの ぶるい とう ぼうじ そうらわん さまは.
次に 未来の 難を 申し 候はば 当世の 諸人の 部類 等・謗じ 候はん 様は.

この にちれんぼうは そんざいの ときは しゅじゅの だいなんに あい しもんに おもむくの ときは.
此の 日蓮房は 存在の 時は 種種の 大難に あひ・死門に 趣むくの 時は.

じしんを みずから しょくして しぬる うえは さだめて だいあびじごくに ついざいして.
自身を 自ら 食して 死る 上は 定めて 大阿鼻地獄に 墜在して.

むへんの くを うくるらんと もうし そうらわん ずるなり.
無辺の 苦を 受くるらんと 申し 候はん ずるなり、.

いにしえより こらい せけん しゅっせの ざいかの ひと きせん じょうげ じかい きかい ぼんしょうに つけて おおく そうらえども.
古より 已来 世間 出世の 罪科の 人・貴賤・上下・持戒・毀戒・凡聖に 付けて 多く 候へども.
.
ただ それは げんざい ばかりにて こそ そうろうに
但 其は 現在 計りにて こそ 候に・.

にちれんは げんざいは もうすに およばず かこ みらいに いたるまで.
日蓮は 現在は 申すに 及ばす 過去・未来に 至るまで.

3ぜの だいなんを こうむり そうらわん ことは ただ ひとえに ほけきょうの ゆえにて そうろう なり.
三世の 大難を 蒙り 候はん 事は 只 偏に 法華経の 故にて 候 なり、.

にちれんが 3ぜの だいなんを もって ほけきょうの 3ぜの ごりやくを おぼしめされ そうらえ.
日蓮が 三世の 大難を 以て 法華経の 三世の 御利益を 覚し食され 候へ、.

かこ くおんこうより このかた みらいえいごうまで みょうほうれんげきょうの さんぜの ごりやく つくす べからず そうろう なり.
過去 久遠劫より 已来・未来永劫まで 妙法蓮華経の 三世の 御利益 尽くす べからず 候 なり、.

にちれんが ほけきょうの かとうどを しょうぶん つかまつり そうろうだにも かようの だいなんに あい そうろう.
日蓮が 法華経の 方人を 少分 仕り 候だにも 加様の 大難に 遭い 候、.

まして しゃくそんの せぜ ばんばんの ほけきょうの おんかとうどを おもいやり まいらせ そうろうに どうり もうす ばかりなく こそ そうらえ.
まして 釈尊の 世世・番番の 法華経の 御方人を 思い遣り まいらせ 候に 道理 申す 計りなく こそ 候へ、.

されば かんじほんの せっそうは ざんじも はいせず ことさら ことさら たっとく おぼえ そうろう.
されば 勧持品の 説相は 暫時も 廃せず 殊更 殊更 貴く 覚え 候。.

ひとつ おんやま ごもりの おんこころざしの こと およそ まっぽう しゃくぶくの ぎょうに そむくと いえども.
一 御山 篭の 御志しの 事、凡そ 末法 折伏の 行に 背くと 雖も

びょうしゃにて ござそうろう うえ てんかの わざわい こくどの なん ごうじょうに そうらわん とき
病者にて 御座候 上・天下の 災・国土の 難・強盛に 候はん 時・.

わが みに つみ しり そうらわざらん より ほかは いかに もうし そうろう とも.
我が 身に つみ 知り 候はざらん より 外は・いかに 申し 候 とも・.

こくしゅ しんぜられ まじく そうらえば にちれん なお ろうきょの こころざし そうろう.
国主 信ぜられ まじく 候へば・日蓮 尚 篭居の 志 候、.

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まして ごぶんの おんことは さこそ そうらわん ずらめ.
まして 御分の 御事は さこそ 候はん ずらめ、.

たとい さんやに ろうきょ そうろうとも おんやまい へいゆして.
仮使 山谷に 篭居 候とも 御病も 平癒して.

べんぎも よく そうらわば しんみょうを すて ぐつうせしめ たもうべし.
便宜も 吉 候はば 身命を 捨て 弘通せしめ 給ふべし。.

ひとつ おうせを こうむりて そうろう まっぽうの ぎょうじゃ そくさいえんめいの きとうの こと べっしに いっかん しるし まいらせ そうろう.
一 仰せを 蒙りて 候 末法の 行者・息災延命の 祈祷の 事、別紙に 一巻 註し 進らせ 候、.

まいにち 1ぺん けつじょなく どくじゅ せらるべく そうろう.
毎日 一返 闕如無く 読誦 せらるべく 候、.

にちれんも しんじ はじめ そうらいし ひより まいにち これらの かんもんを ずし そうらいて ぶってんに きせいし そうろうに よりて.
日蓮も 信じ 始め 候し 日より 毎日 此れ等の 勘文を 誦し 候て 仏天に 祈誓し 候に よりて、.

しゅじゅの だいなんに あうと いえども ほけきょうの くりき しゃくそんの きんげん じんじゅうなる ゆえに いままで そうい なくて そうろう なり.
種種の 大難に 遇うと 雖も 法華経の 功力 釈尊の 金言 深重なる 故に 今まで 相違 無くて 候 なり、.

それに ついても ほけきょうの ぎょうじゃは しんじんに たいてん なく みに さしん なく.
其れに 付いても 法華経の 行者は 信心に 退転 無く 身に 詐親 無く・.

いっさい ほけきょうに その みを まかせて きんげんの ごとく しゅぎょうせば.
一切 法華経に 其の 身を 任せて 金言の 如く 修行せば、.

たしかに ごしょうは もうすに およばず こんじょうも そくさいえんめいに して しょうみょうの だいかほうを え.
慥に 後生は 申すに 及ばず 今生も 息災延命に して 勝妙の 大果報を 得・.

こうせんるふ だいがんをも じょうじゅ すべきなり.
広宣流布 大願をも 成就す 可きなり。.

ひとつ ごじょうに 17しゅっけの のちは さいしを たいせず にくを しょくせず とう うんぬん.
一 御状に 十七出家の 後は 妻子を 帯せず 肉を 食せず 等 云云、.

ごんきょうを しんぜし だいほうぼうの ときの ことは いかなる じかいの ぎょうにんと もうし そうろうとも.
権教を 信ぜし 大謗法の 時の 事は 何なる 持戒の 行人と 申し 候とも、.

ほけきょうに そむく ほうぼう ざいの ゆえに しょうほうの はかいの だいぞくよりも ひゃくせんまんおくばい おとり そうろう なり.
法華経に 背く 謗法 罪の 故に 正法の 破戒の 大俗よりも 百千万倍 劣り 候 なり、.

かの ほうぼうの びくは じかい なりと いえども むけんに だす.
彼の 謗法の 比丘は 持戒 なりと 雖も 無間に 墜す、.

しょうほうの だいぞくは はかい なりと いえども じょうぶつ うたがい なき ゆえなり.
正法の 大俗は 破戒 なりと 雖も 成仏 疑い 無き 故なり、.

ただ いまの おんみは ねんぶつ とうの ごんきょうを すてて しょうほうに きし たもう ゆえに.
但 今の 御身は 念仏 等の 権教を 捨てて 正法に 帰し 給う 故に.

まことに じかいの なかの しょうじょうの しょうにん なり.
誠に 持戒の 中の 清浄の 聖人 なり、.

もっとも びくとなっては ごんしゅうのひとすら なお しかるべし いわんや しょうほうの ぎょうにんをや.
尤も 比丘と 成つては 権宗の 人すら 尚 然る 可し 況や 正法の 行人をや、.

たとえ ごんしゅうのときの さいしなりとも かかるだいなんは.
仮使権宗の 時の 妻子なりとも かかる 大難は.

あわん ときは ふりすて しょうほうを ぐつうすべきの ところに ちたいよりの しょうにん もっとも よし もっとも よし.
遇はん 時は 振捨て 正法を 弘通すべきの 処に 地体よりの 聖人 尤も 吉し 尤も 吉し、.

あいかまえ あいかまえ きょうこうも ふさい とうの より きたるとも おんりして.
相構え 相構え 向後も 夫妻 等の 寄 来とも 遠離して.

いっしんに しょうげ なく くにじゅうの ほうぼうを せめて しゃくそんの けぎを たすけ たてまつる べき ものなり.
一身に 障礙 無く 国中の 謗法を せめて 釈尊の 化儀を 資け 奉る 可き 者なり、.

なお なお きょうこうは この いっかんの しょを ずして ぶってんに きせいし ごぐつう ある べく そうろう.
猶 猶 向後は 此の 一巻の 書を 誦して 仏天に 祈誓し 御弘通 有る 可く 候.

ただ この しょは ぐつうの こころざし あらん ひとに とっての ことなり.
但 此の 書は 弘通の 志 有らん 人に 取つての 事なり、.

この きょうの ぎょうじゃ なれば とて きように あたわざる ものには そう なく これを じゅよ すべからず そうろうか.
此の 経の 行者 なれば とて 器用に 能はざる 者には 左右 無く 之を 授与 すべからず 候か、.

あなかしこ あなかしこ きょうきょう きんげん.
穴賢 穴賢、恐恐 謹言。.

ぶんえい 10ねん みずのととり しょうがつ 28にち.
文永 十年 癸酉 正月 二十八日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

さいれんぼう ごへんじ.
最蓮房 御返事.

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