b1358から1361.
諸法実相抄 (しょほうじっそうしょう).
日蓮大聖人 52歳御作.

 

b1358

しょほうじっそう しょう.
諸法実相 抄.

ぶんえい 10ねん 5がつ 52さい おんさく.
文永 十年 五月 五十二歳 御作.

あたう さいれんぼうにちじょう にちれん これを しるす.
与 最蓮房日浄 日蓮 之を 記す.

とうて いわく.
問うて 云く.

ほけきょうの だいいちほうべんぽんに いわく.
法華経の 第一方便品に 云く.

「しょほうじっそう ないし ほんまつくきょうとう」うんぬん.
「諸法実相 乃至 本末究竟等」云云、.

この きょうもんの こころ いかん.
此の 経文の 意 如何、.

こたえて いわく.
答えて 云く.

しも じごく より かみ ぶっかい までの じっかいの えしょうの とうたい ことごとく.
下 地獄 より 上 仏界 までの 十界の 依正の 当体・ 悉く.

いっぽうも のこさず みょうほうれんげきょうの すがた なりと いう きょうもん なり.
一法も のこさず 妙法蓮華経の すがた なりと 云ふ 経文 なり.

えほう あるならば かならず しょうほう じゅうすべし.
依報 あるならば 必ず 正報 住すべし、.

しゃくに いわく.
釈に 云く.

「えほう しょうほう つねに みょうきょうを のぶ」とう うんぬん.
「依報 正報・常に 妙経を 宣ぶ」等 云云、.

また いわく.
又 云く.

「じっそうは かならず しょほう しょほうは かならず じゅうにょ.
「実相は 必ず 諸法・ 諸法は 必ず 十如.

じゅうにょは かならず じっかい じっかいは かならず しんど」.
十如は 必ず 十界 十界は 必ず 身土」、.

また いわく.
又 云く.

「あびの えしょうは まったく ごくしょうの じしんに しょし.
「阿鼻の 依正は 全く 極聖の 自心に 処し、.

びるの しんどは ぼんげの いちねんを こえず」うんぬん.
毘盧の 身土は 凡下の 一念を 逾えず」云云、.

これらの しゃくぎ ふんみょう なり だれか ぎもうを しょうぜんや.
此等の 釈義 分明 なり 誰か 疑網を 生ぜんや、.

されば ほうかいの すがた みょうほうれんげきょうの 5じに かわる ことなし.
されば 法界の すがた 妙法蓮華経の 五字に かはる 事なし、.

しゃか たほうの にぶつと いうも みょうほう とうの 5じ より ゆうの りやくを ほどこし たまうとき.
釈迦 多宝の 二仏と 云うも 妙法 等の 五字 より 用の 利益を 施し 給ふ時・.

じそうに 2ぶつと あらわれて ほうとうの なかにして うなづきあい たまう.
事相に 二仏と 顕れて 宝塔の 中にして・ うなづき合い 給ふ、.

かくの ごとき とうの ほうもん にちれんを のぞきては もうし いだす ひと ひとりも あるべからず.
かくの 如き 等の 法門・ 日蓮を 除きては 申し 出す 人 一人も あるべからず、

てんだい みょうらく でんぎょう とうは こころには しりたまえども ことばに いだし たもうまでは なし.
天台・ 妙楽・ 伝教 等は 心には 知り給へども 言に 出し 給ふまでは なし・.

むねの なかにして くらし たまえり.
胸の 中にして くらし 給へり、.

それも どうり なり.
其れも 道理 なり、.

ふぞくなきが ゆえに ときの いまだ いたらざる ゆえに.
付嘱 なきが 故に・ 時の いまだ・ いたらざる 故に・.

ほとけの くおんの でしに あらざる ゆえに.
仏の 久遠の 弟子に あらざる 故に、.

じゆの ぼさつの なかの じょうしゅ しょうどう じょうぎょう むへんぎょう とうの ぼさつ より ほかは.
地涌の 菩薩の 中の 上首 唱導・ 上行・ 無辺行 等の 菩薩 より 外は、.

まっぽうの はじめの 5ひゃくねんに しゅつげんして ほったいの みょうほうれんげきょうの 5じを ひろめ たもう のみならず.
末法の 始の 五百年に 出現して 法体の 妙法蓮華経の 五字を 弘め 給う のみならず、.

ほうとうの なかの 2ぶつ びょうざの ぎしきを つくり あらわすべき ひと なし.
宝塔の 中の 二仏 並座の 儀式を 作り 顕すべき 人 なし、.

これ すなわち ほんもん じゅりょうほんの じの いちねんさんぜんの ほうもん なるが ゆえなり.
是れ 即 本門 寿量品の 事の 一念三千の 法門 なるが 故なり、.

されば しゃか たほうの 2ぶつと いうも ゆうの ほとけ なり.
されば 釈迦・ 多宝の 二仏と 云うも 用の 仏 なり、.

みょうほうれんげきょう こそ ほんぶつ にては おわし そうらえ.
妙法蓮華経 こそ 本仏 にては 御座 候へ、.

きょうに いわく「にょらいひみつじんつうしりき」 これなり.
経に 云く「如来秘密神通之力」是なり、.

にょらいひみつは たいの さんじんにして ほんぶつ なり.
如来秘密は 体の 三身にして 本仏 なり、.

じんつうしりきは ゆうの さんじんにして しゃくぶつ ぞかし.
神通之力は 用の 三身にして 迹仏 ぞかし、.

ぼんぷは たいの さんじんにして ほんぶつ ぞかし.
凡夫は 体の 三身にして 本仏 ぞかし、.

ほとけは ゆうの さんじんにして しゃくぶつ なり.
仏は 用の 三身にして 迹仏 なり、.

しかれば しゃかぶつは われら しゅじょうの ためには しゅししんの さんとくを そなえ たもうと おもいしに.
然れば 釈迦仏は 我れ等 衆生の ためには 主師親の 三徳を 備へ 給うと 思ひしに、.

さにては そうらわず.
さにては 候はず.

かえって ほとけに さんとくを かうらせ たてまつるは ぼんぷ なり.
返つて 仏に 三徳を かふらせ 奉るは 凡夫 なり、.

そのゆえは にょらいというは てんだいの しゃくに.
其の故は 如来と 云うは 天台の 釈に.

「にょらい とは じっぽうさんぜの しょぶつ にぶつ さんぶつ ほんぶつ しゃくぶつの つうごうなり」と はんじ たまえり.
「如来 とは 十方三世の 諸仏・ 二仏・ 三仏・ 本仏・ 迹仏の 通号 なり」と 判じ 給へり、.

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この しゃくに ほんぶつと いうは ぼんぷ なり しゃくぶつというは ほとけ なり.
此の 釈に 本仏と 云うは 凡夫 なり 迹仏と 云ふは 仏 なり、.

しかれども めいごの ふどうにして しょうぶつ ことなるに よって くたい.
然れども 迷悟の 不同にして 生仏・ 異なるに 依つて 倶体・.

くゆうの さんじんと いう ことをば しゅじょう しらざるなり.
倶用の 三身と 云ふ 事をば 衆生 しらざるなり、.

さてこそ しょほうと じっかいを あげて じっそうとは とかれて そうらえ.
さてこそ 諸法と 十界を 挙げて 実相とは 説かれて 候へ、.

じっそうと いうは みょうほうれんげきょうの いみょう なり.
実相と 云うは 妙法蓮華経の 異名 なり・.

しょほうは みょうほうれんげきょうと いうことなり.
諸法は 妙法蓮華経と 云う事なり、.

じごくは じごくの すがたを みせたるが じつのそう なり.
地獄は 地獄の すがたを 見せたるが 実の相 なり、.

がきと へんぜば じごくの じつのすがたには あらず.
餓鬼と 変ぜば 地獄の 実のすがたには 非ず、.

ほとけは ほとけの すがた ぼんぷは ぼんぷの すがた.
仏は 仏の すがた 凡夫は 凡夫の すがた、.

ばんぽうの とうたいの すがたが みょうほうれんげきょうの とうたいなりと いう ことを しょほうじっそうとは もうすなり.
万法の 当体の すがたが 妙法蓮華経の 当体なりと 云ふ 事を 諸法実相 とは 申すなり、.

てんだい いわく.
天台 云く.

「じっそうの しんり ほんぬの みょうほうれんげきょう」と うんぬん.
「実相の 深理 本有の 妙法蓮華経」と 云云、.

この しゃくの こころは じっそうの みょうげんは しゃくもんに ぬしづけ.
此の 釈の 意は 実相の 名言は 迹門に 主づけ.

ほんぬの みょうほうれんげきょうというは ほんもんの うえの ほうもん なり.
本有の 妙法蓮華経と 云うは 本門の 上の 法門 なり、.

この しゃく よくよく しんちゅうに あんじさせ たまえ そうらえ.
此の 釈 能く能く 心中に 案じさせ 給へ 候へ。.

にちれん まっぽうに うまれて じょうぎょうぼさつの ひろめた もうべき ところの みょうほうを さきだちて ほぼ ひろめ.
日蓮・ 末法に 生れて 上行菩薩の 弘め 給うべき 所の 妙法を 先立て 粗 ひろめ、.

つくり あらわし たもうべき ほんもんじゅりょうほんの こぶつたる しゃかぶつ しゃくもん ほうとうぼんの とき.
つくり あらはし 給うべき 本門寿量品の 古仏たる 釈迦仏・ 迹門 宝塔品の 時・.

ゆじゅつし たもう たほうぶつ・ ゆじゅっぽんの とき.
涌出し 給う 多宝仏・ 涌出品の 時・.

しゅつげんし たもう じゆの ぼさつ とうを まず つくり あらわし たてまつること.
出現し 給ふ 地涌の 菩薩 等を 先 作り 顕はし 奉る事、.

よが ぶんざいには いみじき ことなり.
予が 分斉には いみじき 事なり、.

にちれんを こそ・にくむとも ないしょうには いかが およばん.
日蓮を こそ・ にくむとも 内証には・ いかが 及ばん、.

されば かかる にちれんを この しままで おんるし ける つみ・.
されば かかる 日蓮を 此の 嶋まで 遠流し ける 罪・.

むりょうこうにも きえぬべしとも おぼえず.
無量劫にも きへぬべしとも 覚へず、.

ひゆほんに いわく.
譬喩品に 云く.

「もし その つみを とかば こうを きわむるも つきず」とは これなり.
「若し 其の 罪を 説かば 劫を 窮むるも 尽きず」とは 是なり、.

また にちれんを くようし また にちれんが でし だんなと なりたもう こと.
又 日蓮を 供養し 又 日蓮が 弟子檀那と なり 給う 事、.

その くどくをば ほとけの ちえ にても・ はかり つくし たもうべからず.
其の 功徳をば 仏の 智慧 にても・ はかり 尽し 給うべからず、.

きょうに いわく.
経に 云く.

「ほとけの ちえを もって ちゅうりょうするも たしょう その へんを えず」と いえり.
「仏の 智慧を 以て 籌量するも 多少 其の 辺を 得ず」と 云へり、.

じゆのぼさつの さきがけ にちれん いちにん なり.
地涌の菩薩の さきがけ 日蓮 一人 なり、.

じゆのぼさつの かずにもや いりなまし.
地涌の菩薩の 数にもや 入りなまし、.

もし にちれん じゆの ぼさつの かずに いらば.
若し 日蓮 地涌の 菩薩の 数に 入らば.

あに にちれんが でし だんな・ じゆの るるいに あらずや.
豈に 日蓮が 弟子 檀那・ 地涌の 流類に 非ずや、.

きょうに いわく.
経に 云く.

「よく ひそかに ひとりの ために ほけきょうの ないし いちげを とかば.
「能く 竊かに 一人の 為めに 法華経の 乃至 一句を 説かば.

まさに しるべし この ひとは すなわち にょらいの つかい.
当に 知るべし 是の 人は 則ち 如来の 使・.

にょらいの しょけんとして にょらいの じを ぎょうずる なり」と.
如来の 所遣として 如来の 事を 行ずる なり」と、.

あに べつじんの ことを とき たもう ならんや.
豈に 別人の 事を 説き 給う ならんや、.

されば あまりに ひとの われを ほむる ときは いかようにも なりたき こころの  しゅったいし そうろうなり.
されば 余りに 人の 我を ほむる 時は 如何様にも なりたき 意の 出来し 候なり、.

これ ほむる ところの ことば より おこり そうろうぞかし.
是 ほむる 処の 言 より をこり 候ぞかし、.

まっぽうに うまれて ほけきょうを ひろめん ぎょうじゃは.
末法に 生れて 法華経を 弘めん 行者は、.

さんるいの てきじん あって るざい しざいに およばん.
三類の 敵人 有つて 流罪 死罪に 及ばん、.

しかれども たえて ひろめん ものをば ころもを もって しゃかぶつ おおい たもうべきぞ.
然れども たえて 弘めん 者をば 衣を 以て 釈迦仏 をほひ 給うべきぞ、.

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しょてんは くようを いたす べきぞ.
諸天は 供養を いたす べきぞ・.

かたに かけ せなかに おう べきぞ.
かたに かけ せなかに をふ べきぞ・.

だいぜんこんの ものにて あるぞ.
大善根の 者にて あるぞ・.

いっさいしゅじょうの ためには だいどうしにて あるべしと.
一切衆生の ためには 大導師にて あるべしと・.

しゃかぶつ たほうぶつ じっぽうの しょぶつ ぼさつ てんじん しちだい ちじん ごだいの かみがみ.
釈迦仏 多宝仏・ 十方の 諸仏・ 菩薩・ 天神 七代・ 地神 五代の 神神・.

きしもじん じゅうらせつにょ しだいてんのう ぼんてん たいしゃく えんまほうおう.
鬼子母神・ 十羅刹女・ 四大天王・ 梵天・ 帝釈・ 閻魔法王・.

すいじん ふうじん さんじん かいじん だいにちにょらい ふげん もんじゅ.
水神・ 風神・ 山神・ 海神・ 大日如来・ 普賢・ 文殊・.

にちがつ とうの しょそんたちに ほめられ たてまつる あいだ.
日月 等の 諸尊たちに ほめられ 奉る 間、.

むりょうの だいなんをも かんにんして そうろうなり.
無量の 大難をも 堪忍して 候なり、.

ほめられぬれば わが みの そんずるをも かえりみず.
ほめられぬれば 我が 身の 損ずるをも・ かへりみず、.

そしられぬる ときは また わがみの やぶるるをも しらず.
そしられぬる 時は 又 我が 身の やぶるるをも・ しらず、.

ふるまう ことは ぼんぷの ことわざ なり.
ふるまふ 事は 凡夫の ことはざ なり。.

いかにも こんど しんじんを いたして ほけきょうの ぎょうじゃにて とおり.
いかにも 今度・ 信心を いたして 法華経の 行者にて とをり、.

にちれんが いちもんと なりとおし たもうべし.
日蓮が 一門と なりとをし 給うべし、.

にちれんと どうい ならば じゆのぼさつ たらんか.
日蓮と 同意 ならば 地涌の菩薩 たらんか、.

じゆのぼさつに さだまりなば しゃくそん くおんの でしたる こと あに うたがわんや.
地涌の菩薩に さだまりなば 釈尊 久遠の 弟子たる 事 あに 疑はんや、.

きょうに いわく.
経に 云く.

「われ くおん より このかた これらの しゅうを きょうけす」とは これなり.
「我 久遠 より 来かた 是等の 衆を 教化す」とは 是なり、.

まっぽうにして みょうほうれんげきょうの 5じを ひろめん ものは なんにょは きらう べからず.
末法にして 妙法蓮華経の 五字を 弘めん 者は 男女は きらふ べからず、.

みな じゆの ぼさつの しゅつげんに あらずんば となえがたき だいもく なり.
皆 地涌の 菩薩の 出現に 非ずんば 唱へがたき 題目 なり、.

にちれん いちにん はじめは なんみょうほうれんげきょうと となえしが.
日蓮 一人 はじめは 南無妙法蓮華経と 唱へしが、.

ににん さんにん ひゃくにんと しだいに となえ つたうるなり.
二人・ 三人・ 百人と 次第に 唱へ つたふるなり、.

みらいも また しかるべし.
未来も 又 しかるべし、.

これ あに じゆの ぎに あらずや.
是 あに 地涌の 義に 非ずや、.

あまつさえ こうせんるふの ときは にほん いちどうに なんみょうほうれんげきょうと  となえん ことは.
剰へ 広宣流布の 時は 日本 一同に 南無妙法蓮華経と 唱へん 事は.

だいちを まとと する なるべし.
大地を 的と する なるべし、.

ともかくも ほけきょうに なを たて みを まかせ たもうべし.
ともかくも 法華経に 名を たて 身を まかせ 給うべし、.

しゃか たほうぶつ じっぽうのしょぶつ ぼさつ こくうにして 2ぶつ うなずきあい.
釈迦仏 多宝仏・ 十方の諸仏・ 菩薩・ 虚空にして 二仏 うなづき合い、.

さだめさせ たまいしは べつの ことには あらず.
定めさせ 給いしは 別の 事には 非ず、.

ただ ひとえに まっぽうの りょうぼうくじゅうの ゆえなり.
唯 ひとへに 末法の 令法久住の 故なり、.

すでに たほうぶつは はんざを わけて しゃかにょらいに たてまつり たまいし とき.
既に 多宝仏は 半座を 分けて 釈迦如来に 奉り 給いし 時、.

みょうほうれんげきょうの はたを さし あらわし.
妙法蓮華経の 旛を さし 顕し、.

しゃか たほうの 2ぶつ たいしょうとして さだめ たまいしこと.
釈迦・ 多宝の 二仏 大将として さだめ 給いし事.

あに いつわり なるべきや.
あに・いつはり なるべきや、.

しかしながら われら しゅじょうを ほとけに なさんとの ごだんごう なり.
併ら 我等 衆生を 仏に なさんとの 御談合 なり。.

にちれんは その ざには じゅうし そうらわねども.
日蓮は 其の 座には 住し 候はねども.

きょうもんを み そうろうに すこしも くもり なし.
経文を 見 候に・ すこしも くもり なし、.

また その ざにもや ありけん ぼんぷ なれば かこを しらず.
又 其の 座にもや・ ありけん 凡夫 なれば 過去を しらず、.

げんざいは みえて ほけきょうの ぎょうじゃ なり.
現在は 見へて 法華経の 行者 なり.

また みらいは けつじょうとして とうけいどうじょう なるべし.
又 未来は 決定として 当詣道場 なるべし、.

かこをも これを もって すいするに こくうえにもや ありつらん.
過去をも 是を 以て 推するに 虚空会にもや ありつらん、.

3ぜ かくべつ あるべからず.
三世 各別 あるべからず、.

かくの ごとく おもいつづけて そうらえば るにん なれども きえつ はかりなし.
此くの 如く 思ひつづけて 候へば 流人 なれども 喜悦 はかりなし.

うれしきにも なみだ つらきにも なみだなり.
うれしきにも・ なみだ・ つらきにも なみだなり.

なみだは ぜんあくにも つうずる ものなり.
涙は 善悪に 通ずる ものなり.

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かの せんにんの あらかん ほとけの ことを おもいいでて なみだを ながし ながしながら.
彼の 千人の  阿羅漢・ 仏の 事を 思ひいでて 涙をながし、ながしながら.

もんじゅしりぼさつは みょうほうれんげきょうと となえさせ たまえば.
文殊師利菩薩は 妙法蓮華経と 唱へさせ 給へば、.

せんにんの あらかんの なかの あなんそんじゃは なきながら にょぜがもんと こたえたもう.
千人の 阿羅漢の 中の 阿難尊者は・ なきながら 如是我聞と 答え給う、.

よの 990にんは なく なみだを すずりの みずとして.
余の 九百九十人は なく なみだを 硯の 水として、.

また にょぜがもんの うえに みょうほうれんげきょうと かきつけしなり.
又 如是我聞の 上に 妙法蓮華経と かきつけしなり、.

いま にちれんも かくの ごとし.
今 日蓮も かくの 如し、.

かかる みと なるも みょうほうれんげきょうの 5じ 7じを ひろむる ゆえなり.
かかる 身と なるも 妙法蓮華経の 五字 七字を 弘むる 故なり、.

しゃかぶつ たほうぶつ みらい にほんこくの いっさいしゅじょうの ために.
釈迦仏・ 多宝仏・ 未来・ 日本国の 一切衆生の ために・.

とどめおき たもう ところの みょうほうれんげきょう なりと.
とどめをき 給ふ 処の 妙法蓮華経 なりと、.

かくの ごとく われも ききし ゆえぞかし.
かくの 如く 我も 聞きし 故ぞかし、.

げんざいの だいなんを おもい つづくるにも なみだ.
現在の 大難を 思い つづくるにも なみだ、.

みらいの じょうぶつを おもうて よろこぶにも なみだ せきあえず.
未来の 成仏を 思うて 喜ぶにも なみだ せきあへず、.

とりと むしとは なけども なみだ おちず.
鳥と 虫とは なけども なみだ をちず、.

にちれんは なかねども なみだ ひまなし.
日蓮は・ なかねども・ なみだ ひまなし、.

この なみだ せけんの ことには あらず.
此の なみだ 世間の 事には 非ず.

ただ ひとえに ほけきょうの ゆえなり.
但 偏に 法華経の 故なり、.

もし しからば かんろの なみだとも いいつべし.
若 しからば 甘露の なみだとも 云つべし、.

ねはんぎょうには ふぼ きょうだい さいし けんぞくに わかれて ながす ところの なみだは.
涅槃経には 父母・ 兄弟・ 妻子・ 眷属に はかれて 流す ところの 涙は.

しだいかいの みず よりも おおしと いえども.
四大海の 水 よりも ををしと いへども、.

ぶっぽうの ためには いってきをも こぼさずと みえたり.
仏法の ためには 一滴をも・ こぼさずと 見えたり、.

ほけきょうの ぎょうじゃと なることは かこの しゅくじゅう なり.
法華経の 行者と なる事は 過去の 宿習 なり、.

おなじ そうもく なれども ほとけと つくらるるは しゅくえん なるべし.
同じ 草木 なれども 仏と つくらるるは 宿縁 なるべし、.

ほとけ なりとも ごんぶつと なるは また しゅくごう なるべし.
仏 なりとも 権仏と なるは 又 宿業 なるべし。.

この もんには にちれんが だいじの ほうもん ども かきて そうろうぞ.
此 文には 日蓮が 大事の 法門 ども かきて 候ぞ、.

よくよく み ほどかせ たまえ こころえ させ たもうべし.
よくよく 見 ほどかせ 給へ・ 意得 させ 給うべし、.

いちえんぶだい だいいちの ごほんぞんを しんじさせ たまえ.
一閻浮提 第一の 御本尊を 信じさせ 給へ、.

あいかまえて あいかまえて しんじん つよく そうろうて.
あひかまへて・ あひかまへて・ 信心 つよく 候て.

3ぶつの しゅごを こうむらせ たもうべし.
三仏の 守護を かうむらせ 給うべし、.

ぎょうがくの 2どうを はげみ そうろうべし.
行学の 二道を はげみ 候べし、.

ぎょうがく たえなば ぶっぽうは あるべからず.
行学 たへなば 仏法は あるべからず、.

われも いたし ひとをも きょうけ そうらえ.
我も いたし 人をも 教化 候へ、.

ぎょうがくは しんじん より おこるべく そうろう.
行学は 信心 より をこるべく 候、.

ちから あらば いちもん いっく なりとも かたらせ たもうべし.
力 あらば 一文 一句 なりとも かたらせ 給うべし、.

なんみょうほうれんげきょう なんみょうほうれんげきょう.
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

5がつ 17にち にちれん かおう.
五月 十七日 日蓮 花押.

ついしん そうろう にちれんが そうじょうの ほうもん とう さきざき かき すすめらせ そうらいき.
追申 候、日蓮が 相承の 法門 等・ 前前 かき 進らせ 候き、.

ことに この ふみには だいじの ことども しるして まいらせ そうろうぞ.
ことに 此の 文には 大事の 事ども しるして まいらせ 候ぞ.

ふしぎなる けいやく なるか.
不思議なる 契約 なるか、.

ろくまんごうしゃの じょうしゅ じょうぎょう とうの しぼさつの へんげか.
六万恒沙の 上首・ 上行 等の 四菩薩の 変化か、.

さだめて ゆえ あらん.
さだめて ゆへ あらん、.

そうじて にちれんが みに あたっての ほうもん わたし まいらせ そうろうぞ.
総じて 日蓮が 身に 当ての 法門 わたし まいらせ 候ぞ、.

にちれん もしや ろくまんごうしゃの じゆのぼさつの けんぞくにもや あるらん.
日蓮 もしや 六万恒沙の 地涌の 菩薩の 眷属にもや あるらん、.

なんみょうほうれんげきょうと となえて にほんこくの なんにょを みちびかんと おもえばなり.
南無妙法蓮華経と 唱へて 日本国の 男女を・ みちびかんと おもへばなり、.

きょうに いわく いちみょうじょうぎょう ないし しょうどうのし とは とかれ そうらわぬか.
経に 云く 一名上行 乃至 唱導之師 とは 説かれ 候はぬか、.

まことに しゅくえんの おう ところ よが でしと なりたもう.
まことに 宿縁の をふ ところ 予が 弟子と なり給う、.

この ふみ あいかまえて ひし たまえ.
此の 文 あひかまへて 秘し 給へ、.

にちれんが こしょうの ほうもん とう かきつけて そうろうぞ.
日蓮が 己証の 法門 等 かきつけて 候ぞ、.

とどめ おわんぬ.
とどめ 畢んぬ。.

さいれんぼう ごへんじ.
最蓮房 御返事.

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