b1563から1564.
上野殿御返事 (うえのどの ごへんじ).
日蓮大 聖人 59歳 御作.

 

b1563

うえのどの ごへんじ.
上野殿 御返事.

こ うえのどの おんきじつの そうぜんりょう.
故 上野殿・ 御忌日の 僧ゼン料.

こめ 1たわら たしかに たび そうらい おわんぬ.
米 一たはら・ たしかに 給び 候い 畢んぬ、.

みほとけに きょうし まいらせて じがげ いっかん よみ まいらせ そうろうべし.
御仏に 供し まいらせて 自我偈 一巻 よみ まいらせ 候べし。.

こうようと もうすは まず ふこうを しりて こうを しるべし.
孝養と 申すは・ まづ 不孝を 知りて 孝を しるべし、.

ふこうと もうすは ゆうぼうと いうもの.
不孝と 申すは 酉夢と 云う 者・.

ちちを うち しかば てんらい みを さく.
父を 打ち しかば 天雷 身を さく・.

はんぷと もうせし もの ははを のり しかば どくじゃ きたりて のみき.
班婦と 申せし 者・ 母を のり しかば 毒蛇 来りて のみき、.

あじゃせおう ちちを ころせ しかば びゃくらいびょうの ひとと なりき.
阿闍世王・ 父を ころせ しかば 白癩病の 人と なりにき、.

はるりおうは おやを ころせ しかば かわかみに ひ いでて.
波瑠璃王は 親を ころせ しかば 河上に 火 出でて.

げんしんに むけんに おちにき.
現身に 無間に をちにき、.

たにんを ころしたるには いまだ かくの ごとくの れいなし.
他人を ころしたるには・ いまだ かくの 如くの 例なし。.

ふこうを もって おもうに こうようの くどくの おおきなる ことも しられたり.
不孝を もつて 思ふに 孝養の 功徳の おほきなる 事も・ しられたり、.

げてん さんぜんよかんは たじ なし.
外典 三千余巻は 他事 なし・.

ただ ふぼの こうよう ばかり なり.
ただ 父母の 孝養 ばかり なり、.

しかれども げんせを やしないて ごしょうを たすけず.
しかれども 現世を やしなひて 後生を たすけず、.

ふぼの おんの おもき ことは たいかいの ごとし.
父母の 恩の おもき 事は 大海の ごとし・.

げんせを やしない ごしょうを たすけざれば いったいの ごとし.
現世を やしなひ 後生を たすけざれば・ 一タイの ごとし、.

ないてん ごせんよかん また たじ なし.
内典 五千余巻 又 他事 なし・.

ただ こうようの くどくを とけるなり.
ただ 孝養の 功徳を とけるなり、.

しかれども にょらい 40よねんの せっきょうは こうように にたれども.
しかれども 如来 四十余年の 説教は 孝養に にたれども・.

その せつ いまだ あらわれず.
その 説 いまだ あらはれず・.

こうが なかの ふこう なるべし.
孝が 中の 不孝 なるべし、.

もくれん そんじゃの ははの がきどうの くを すくいしは.
目連尊者の 母の 餓鬼道の 苦を すくひしは・.

わずかに にんてんの くを すくいて いまだ じょうぶつの みちには いれず.
わづかに 人天の 苦を すくひて・ いまだ 成仏の みちには いれず、.

しゃかにょらいは おんとし 30の とき.
釈迦如来は 御年 三十の 時・.

ちち じょうぼんのうに ほうを といて だいよんかを えせしめ たまえり.
父 浄飯王に 法を 説いて 第四果を えせしめ 給へり、.

ははの まやふじんをば おんとし 38の とき.
母の 摩耶夫人をば 御年 三十八の 時・.

あらかんかを えせしめ たまえり.
阿羅漢果を えせしめ 給へり、.

これらは こうように にたれども かえって ほとけに ふこうの とがあり.
此等は 孝養に にたれども 還つて 仏に 不孝の とがあり、.

わずかに 6どうをば はなれしめ たれども.
わづかに 六道をば・ はなれしめ たれども.

ふぼをば ようふじょうぶつの みちに いれ たまえり.
父母をば 永不成仏の 道に 入れ 給へり、.

たとえば たいしを ぼんげの ものと なし.
譬へば 太子を 凡下の 者と なし.

おうじょを ひっぷに あわせたるが ごとし.
王女を 匹夫に・ あはせたるが 如し、.

されば ほとけ といて いわく.
されば 仏 説いて 云く.

「われ すなわち けんどんに だせん この ことは さだめて ふかなり」うんぬん.
「我 則ち 慳貪に 堕せん 此の 事は 為て 不可 なり」云云、.

ほとけは ふぼに かんろを おしみて むぎはんを あたえたる ひと.
仏は 父母に 甘露を おしみて 麦飯を 与へたる 人・.

せいしゅを おしみて だくしゅを のませたる ふこうの だいいちの ひと なり.
清酒を おしみて 濁酒を のませたる 不孝 第一の 人 なり、.

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b1564

はるりおうの ごとく げんしんに むけんだいじょうに おち.
波瑠璃王の ごとく 現身に 無間大城に おち・.

あじゃせおうの ごとく そくしんに びゃくらいびょうをも つぎぬ べかりしが.
阿闍世王の 如く 即身に 白癩病をも・ つぎぬ べかりしが、.

42ねんと もうせしに ほけきょうを とき たまいて.
四十二年と 申せしに 法華経を 説き 給いて.

「その ひと めつどの おもいを しょうじて ねはんに いると いえども.
「是の 人 滅度の 想を 生じて 涅槃に 入ると 雖も.

しかも かの どに おいて ほとけの ちえを もとめて この きょうを きくことを えん」と.
而も 彼の 土に 於て 仏の 智慧を 求めて 是の 経を 聞くことを 得ん」と、.

ふぼの おんこうようの ため ほけきょうを とき たまい しかば.
父母の 御孝養の ため 法華経を 説き 給い しかば、.

ほうじょうせかいの たほうぶつも じつの こうようの ほとけ なりと ほめ たまい.
宝浄世界の 多宝仏も 実の 孝養の 仏 なりと・ ほめ 給い・.

じっぽうの しょぶつも あつまりて いっさいしょぶつの なかには.
十方の 諸仏も あつまりて 一切諸仏の 中には.

こうよう だいいちの ほとけ なりと さだめ たてまつりき.
孝養 第一の 仏なりと 定め 奉りき。.

これを もって あんずるに にほんこくの ひとは みな ふこうの ひと ぞかし.
これを もつて 案ずるに 日本国の 人は 皆 不孝の 仁 ぞかし、.

ねはんきょうの もんに ふこうの ものは だいち みじん よりも おおしと とき たまえり.
涅槃経の 文に 不孝の 者は 大地 微塵 よりも 多しと 説き 給へり、.

されば てんの にちがつ 84000の ほし おのおの いかりを なし.
されば 天の 日月・ 八万四千の 星・ 各 いかりを なし・.

めを いからかして にほんこくを にらめ たもう.
眼を いからかして 日本国を にらめ 給ふ、.

いまの おんみょうじの てんぺん しきり なりと そうし もうす これなり.
今の 陰陽師の 天変・ 頻り なりと 奏し 申す 是なり、.

ちよう ひびに おこりて たいかいの うえに こぶねを うかべたるがごとし.
地夭・ 日日に 起りて 大海の 上に 小船を うかべたるが如し、.

いまの にほんこくの しょうには たましいを うしない.
今の 日本国の 小児は 魄を うしなひ・.

にょにんは ちを はく これなり.
女人は 血を はく 是なり。.

きへんは にほんこく だいいちの こうようの ひと なり.
貴辺は 日本国・ 第一の 孝養の 人 なり・.

ぼんてん たいしゃく おり くだりて さゆうの はねと なり.
梵天・ 帝釈 をり 下りて 左右の 羽と なり・.

しほうの ちじんは あしを いただいて ふぼと あおぎ たまうらん.
四方の 地神は 足を いただいて 父母と あをぎ 給うらん、.

こと おおしと いえども とどめ そうらい おわんぬ.
事 多しと・ いへども・ とどめ 候い 畢んぬ、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

こうあん 3ねん 3がつ ようか.
弘安 三年 三月 八日.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

しんじょう うえのどの ごへんじ.
進上 上野殿 御返事.

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