b896から899.
聖密房御書 (しょうみつぼう ごしょ).
日蓮大聖人 56歳 御作.

 

b896

しょうみつぼう ごしょ.
聖密房 御書.

けんじ 3ねん 56さい おんさく.
建治 三年 五十六歳 御作.

だいにちきょうをば ぜんむい ふくう こんごうち とうの ぎに いわく.
大日経をば 善無畏・ 不空・ 金剛智 等の 義に 云く.

「だいにちきょうの りと ほけきょうの りとは おなじき ことなり.
「大日経の 理と 法華経の 理とは 同じ 事なり.

ただ いんと しんごんとが ほけきょうは れつなり」と たてたり.
但 印と 真言とが 法華経は 劣なり」と 立てたり.

りょうしょわしょう こうしゅ ゆいけん なんど もうす ひとは.
良ショ和尚・ 広修・ 維ケン なんど 申す 人は.

だいにちきょうは けごんきょう ほけきょう ねはんぎょう とうには およばず.
大日経は 華厳経 法華経 涅槃経 等には 及ばず.

ただ ほうとうぶの きょう なるべし.
但 方等部の 経 なるべし.

にほんの こうぼうだいし いわく.
日本の 弘法大師 云く.

「ほけきょうは なお けごんきょう とうに おとれり.
「法華経は 猶 華厳経 等に 劣れり.

まして だいにちきょうには およぶ べからず」とう うんぬん.
まして 大日経には 及ぶ べからず」等 云云.

また いわく「ほけきょうは しゃかの せつ だいにちきょうは だいにちにょらいの せつ.
又 云く「法華経は 釈迦の 説 大日経は 大日如来の 説.

きょうしゅ すでに ことなり.
教主 既に ことなり.

また しゃかにょらいは だいにちにょらいの おんつかいとして けんきょうを とき たもう.
又 釈迦如来は 大日如来の 御使として 顕教を とき 給う.

これは みっきょうの しょもん なるべし」.
これは 密教の 初門 なるべし」.

あるいは いわく.
或は 云く.

「ほけきょうの かんじんたる じゅりょうほんの ほとけは けんきょうの なかにしては.
「法華経の 肝心たる 寿量品の 仏は 顕教の 中にしては.

ほとけ なれども みっきょうに たいすれば ぐばくの ぼんぷ なり」と うんぬん.
仏 なれども 密教に 対すれば 具縛の 凡夫 なり」と 云云.

にちれん かんがえて いわく.
日蓮 勘えて 云く.

だいにちきょうは しんやくの きょう とうの げんそうこうていの おんとき.
大日経は 新訳の 経・ 唐の 玄宗皇帝の 御時.

かいげん 4ねんに てんじくの ぜんむいさんぞう もてきたる.
開元 四年に 天竺の 善無畏三蔵 もて来る.

ほけきょうは くやくの きょう こうしんの ぎょうに らじゅうさんぞう もてきたる.
法華経は 旧訳の 経 後秦の 御宇に 羅什三蔵 もて来る.

その ちゅうかん 300よねん なり.
其の 中間 三百余年 なり.

ほけきょう わたりて のち ひゃくよねんを へて てんだいちしゃだいし.
法華経 亘て 後 百余年を 経て 天台智者大師.

きょうもんには 5じ4きょうを たてて.
教門には 五時四教を 立てて.

かみ 500よねんの がくしゃの きょうそうを やぶり.
上 五百余年の 学者の 教相を やぶり.

かんもんには いちねんさんぜんの ほうもんを さとりて はじめて ほけきょうの りを えたり.
観門には 一念三千の 法門を さとりて 始めて 法華経の 理を 得たり.

てんだいだいし いぜんの さんろんしゅう いごの ほっそうしゅうには 8かいを たて じっかいを ろんぜず.
天台大師 已前の 三論宗・ 已後の 法相宗には 八界を 立て 十界を 論ぜず.

いちねんさんぜんの ほうもんをば たつべき ようなし.
一念三千の 法門をば 立つべき やうなし.

けごんしゅうは てんだい いぜんには なんぼくの しょし.
華厳宗は 天台 已前には 南北の 諸師.

けごんきょうは ほけきょうに すぐれたりとは もうし けれども.
華厳経は 法華経に 勝れたりとは 申し けれども.

けごんしゅうの なは そうらわず.
華厳宗の 名は 候はず.

とうの よに こうそうの きさき そくてんこうごうと もうす ひとの おんとき.
唐の 代に 高宗の 后・ 則天皇后と 申す 人の 御時.

ほうぞうほっし ちょうかん なんど もうす ひと けごんしゅうの なを たてたり.
法蔵法師 澄観 なんど 申す 人・ 華厳宗の 名を 立てたり.

この しゅうは きょうそうに ごきょうを たて かんもんには じゅうげん 6そう なんど もうす ほうもん なり.
此の 宗は 教相に 五教を 立て 観門には 十玄・ 六相 なんど 申す 法門 なり.

おびただしき ように みえたり しかども.
をびただしき やうに みへたり しかども.

ちょうかんは てんだい をはするようにて なお.
澄観は 天台 をはするやうにて なを.

てんだいの いちねんさんぜんの ほうもんを かりとりて.
天台の 一念三千の 法門を かりとりて.

わが きょうの しんにょくえしの もんの こころと す.
我が 経の 心 如工画師の 文の 心と す.

これは けごんしゅうは てんだいに おちたりと いうべきか.
これは 華厳宗は 天台に 落ちたりと いうべきか.

また いちねんさんぜんの ほうもんを ぬすみ とりたりと いうべきか.
又 一念三千の 法門を 盗み とりたりと いうべきか.

りょうかんは じかいの ひと だいしょうの かいを いちじんをも やぶらざれども.
澄観は 持戒の 人・ 大小の 戒を 一塵をも やぶらざれども.

いちねんさんぜんの ほうもんをば ぬすみとれり.
一念三千の 法門をば ぬすみとれり.

よくよく くでん あるべし.
よくよく 口伝 あるべし.

→a896

b897

しんごんしゅうの なは てんじくに ありや いなや.
真言宗の 名は 天竺に ありや いなや.

だいなる ふしん なるべし.
大なる 不審 なるべし.

ただ しんごんきょうに ありけるを.
但 真言経にて ありけるを.

ぜんむい とうの しゅうの なを かんどにして つけたりけるか.
善無畏 等の 宗の 名を 漢土にして 付けたりけるか.

よくよく しるべし.
よくよく しるべし.

なかんずく ぜんむい とう ほけきょうと だいにちきょうとの しょうれつを はんずるに.
就中 善無畏 等 法華経と 大日経との 勝劣を はんずるに.

りどうじしょうの しゃくをば つくりて.
理同事勝の 釈をば つくりて.

いちねんさんぜんの りは ほけきょう だいにちきょう これ おなじ なんど いえども.
一念三千の 理は 法華経 大日経 これ 同じ なんど いへども.

いんと しんごんとが ほけきょうには なければ じほうは だいにちきょうに おとれり.
印と 真言とが 法華経には 無ければ 事法は 大日経に 劣れり.

じそう かけぬれば じりくみつも なしと ぞんぜり.
事相 かけぬれば 事理倶密も なしと 存ぜり.

いま にほんこく および しょしゅうの がくしゃら.
今 日本国 及び 諸宗の 学者等.

ならびに ことに もちゆ べからざる てんだいしゅう ともに この ぎを ゆるせり.
並びに ことに 用ゆ べからざる 天台宗 共に この 義を ゆるせり.

れいせば しょしゅうの ひとびとをば そねめども.
例せば 諸宗の 人人をば そねめども.

いちどうに みだの なを となえて じしゅうの ほんぞんを すてたるが ごとし.
一同に 弥陀の 名を となへて 自宗の 本尊を すてたるが ごとし.

てんだいしゅうの ひとびとは いちどうに しんごんしゅうに おちたる ものなり.
天台宗の 人人は 一同に 真言宗に 落ちたる 者なり.

にちれん りの ゆくところを ふしんして いわく.
日蓮・ 理の ゆくところを 不審して 云く.

ぜんむいさんぞうの ほけきょうと だいにちきょうとを.
善無畏三蔵の 法華経と 大日経とを.

りは おなじく じは すぐれたりと たつるは.
理は 同じく 事は 勝れたりと 立つるは.

てんだいだいしの はじめて たて たまえる いちねんさんぜんの りを.
天台大師の 始めて 立て 給へる 一念三千の 理を.

いま だいにちきょうに とりいれて おなじと じゆうに はんずる じょう ゆるさる べしや.
今 大日経に とり入れて 同じと 自由に 判ずる 条 ゆるさる べしや.

れいせば さきに ひとまろが.
例せば 先に 人丸が.

ほのぼのと あかしの うらの あさぎりに しま かくれ ゆく ふねを しぞ おもうと よめるを.
ほのぼのと 明石の うらの 朝霧に 島 かくれ ゆく 船を しぞ をもうと よめるを.

きの しくぼう みなもとの したがう なんどが はんじて いわく.
紀の しくばう 源の したがう なんどが 判じて 云く.


「この うたは うたの ちち うたの はは」とう うんぬん.
「此の 歌は うたの 父 うたの 母」等 云云.

いまの ひと われ うた よめりと もうして.
今の 人 我 うた よめりと 申して.

ほのぼのと ないし ふねを しぞ おもうと いちじも たがえず.
ほのぼのと 乃至 船を しぞ をもうと 一字を もたがへず.

よみて わが さいは ひとまろに おとらずと もうすをば ひと これを もちゆべしや.
よみて 我が 才は 人丸に をとらずと 申すをば 人 これを 用ゆべしや.

やまがつあま なんどは もちゆる ことも ありなん.
やまがつ海人 なんどは 用ゆる 事も ありなん.

てんだいだいしの はじめて たて たまえる いちねんさんぜんの ほうもんは.
天台大師の 始めて 立て 給へる 一念三千の 法門は.

ほとけの ちち ほとけの はは なるべし.
仏の 父 仏の 母 なるべし.

100よねん いごの ぜんむいさんぞうが この ほうもんを ぬすみとりて.
百余年 已後の 善無畏三蔵が この 法門を ぬすみとりて.

だいにちきょうと ほけきょうとは りどう なるべし.
大日経と 法華経とは 理同 なるべし.

りどうと もうすは いちねんさんぜん なりと かけるをば.
理同と 申すは 一念三千 なりと かけるをば.

ちえ かしこき ひとは もちゆべしや.
智慧 かしこき 人は 用ゆべしや.

じしょうと もうすは いん しんごん なし なんど もうすは てんじくの だいにちきょう ほけきょうの しょうれつか.
事勝と 申すは 印 真言 なし なんど 申すは 天竺の 大日経・ 法華経の 勝劣か.

かんどの ほけきょう だいにちきょうの しょうれつか.
漢土の 法華経 大日経の 勝劣か.

ふくうさんぞうの ほけきょうの ぎきには ほけきょうに いん しんごんを そえて やくせり.
不空三蔵の 法華経の 儀軌には 法華経に 印 真言を そへて 訳せり.

にんのうきょうにも らじゅうの やくには いん しんごん なし.
仁王経にも 羅什の 訳には 印 真言 なし.

ふくうの やくの にんのうきょうには いん しんごん これあり.
不空の 訳の 仁王経には 印 真言 これあり.

これらの てんじくの きょうぎょうには むりょうの こと あれども.
此等の 天竺の 経経には 無量の 事 あれども.

がっし かんど くにを へだてて とおく ことごとく.
月氏 漢土 国を へだてて とをく ことごとく.

もちて きがたければ きょうを りゃくする なるべし.
もちて 来がたければ 経を 略する なるべし.

→a897

b898

ほけきょうには いん しんごん なけれども.
法華経には 印 真言 なけれども.

にじょうさぶつ こうこくみょうごう くおんじつじょうと もうす きぼの こと あり.
二乗作仏 劫国名号 久遠実成と 申す きぼの 事 あり.

だいにちきょうとうには いん しんごんは あれども にじょうさぶつ くおんじつじょう これ なし.
大日経等には 印 真言は あれども 二乗作仏 久遠実成 これ なし.

にじょうさぶつと いん しんごんとを ならぶるに てんちの しょうれつ なり.
二乗作仏と 印 真言とを 並ぶるに 天地の 勝劣 なり.

40よねんの きょうぎょうには にじょうは はいしゅの ひとと いちじ にじ ならず.
四十余年の 経経には 二乗は 敗種の 人と 一字 二字 ならず.

むりょうむへんの きょうぎょうに きらわれ.
無量無辺の 経経に 嫌はれ.

ほけきょうには これを はして にじょうさぶつを のべたり.
法華経には これを 破して 二乗作仏を 宣べたり.

いずれかの きょうぎょうにか いんしんごんを きらう ことば あるや.
いづれの 経経にか 印 真言を 嫌うことば あるや.

その ことば なければ また だいにちきょうにも その なを きらわず.
その 言 なければ 又 大日経にも 其の 名を 嫌はず.

ただ いんしんごんを とけり.
但 印 真言を とけり.

いんと もうすは ての よう なり.
印と 申すは 手の 用 なり.

て ほとけに ならずば ての いん ほとけに なるべしや.
手 仏に ならずは 手の 印 仏に なるべしや.

しんごんと もうすは くちの よう なり.
真言と 申すは 口の 用 なり.

くち ほとけに ならずば くちの しんごん ほとけに なるべしや.
口 仏に ならずば 口の 真言 仏に なるべしや.

にじょうの さんごうは ほけきょうに あい たてまつらずは.
二乗の 三業は 法華経に 値い たてまつらずは.

むりょうこう 1200よそんの いん しんごんを ぎょうずとも ほとけに なる べからず.
無量劫 千二百余尊の 印 真言を 行ずとも 仏に なる べからず.

すぐれたるにじょうさぶつの じほうをば とかずと もうして.
勝れたる 二乗作仏の 事法をば とかずと 申して.

おとれる いんしんごんを とける じほうをば すぐれたりと もうすは.
劣れる 印 真言を とける 事法をば 勝れたりと 申すは.

りに よれば ぬすっと なり じに よれば れついしょうけんの げどう なり.
理に よれば 盗人 なり 事に よれば 劣謂勝見の 外道 なり.

この とがに よりて えんまの せめをば かおりし ひと なり.
此の 失に よりて 閻魔の 責めをば かほりし 人 なり.

のちに くい かえして てんだいだいしを あおいで.
後に 悔い かへして 天台大師を 仰いで.

ほっけに うつりて あくどうをば のがれしなり.
法華に うつりて 悪道をば 脱れしなり.

くおんじつじょう なんどは だいにちきょうには おもいも よらず.
久遠実成 なんどは 大日経には をもひも よらず.

くおんじつじょうは いっさいの ほとけの ほんち.
久遠実成は 一切の 仏の 本地.

たとえば たいかいは くおんじつじょう ぎょちょうは 1200よそん なり.
譬へば 大海は 久遠実成 魚鳥は 千二百余尊 なり.

くおんじつじょう なくば 1200よそんは うきくさの ね なきがごとし.
久遠実成 なくば 千二百余尊は うきくさの 根 なきがごとし.

よるの つゆの にちりんの いでざる ほど なるべし.
夜の 露の 日輪の 出でざる 程 なるべし.

てんだいしゅうの ひとびと このことを わきまえずして しんごんしに たぼらかされたり.
天台宗の 人人 この事を 弁へずして 真言師に たぼらかされたり.

しんごんしは また じしゅうの あやまりを しらず.
真言師は 又 自宗の 誤を しらず.

いたずらに あくどうの じゃねんを つみおく.
いたづらに 悪道の 邪念を つみをく.

くうかいわしょうは この りを わきまえざる うえ.
空海和尚は 此の 理を 弁へざる 上.

けごんしゅうの すでに やぶられし じゃぎを かりとりて.
華厳宗の すでに やぶられし 邪義を 借りとりて.

ほけきょうは なお けごんきょうに おとれりと びゃっけん せり.
法華経は 猶 華厳経に をとれりと 僻見 せり.

きもうの ちょうたん とかくの うむ かめの こうには けなし なんぞ ちょうたんを あらそい.
亀毛の 長短・ 兎角の 有無・ 亀の 甲には 毛なし なんぞ 長短を あらそい.

うさぎの あたまには つの なし なんの うむを ろんぜん.
兎の 頭には 角 なし なんの 有無を 論ぜん.

りどうと もうす ひと いまだ えんまの せめを のがれず.
理同と 申す 人 いまだ 閻魔の せめを 脱れず.

だいにちきょうに おとる けごんきょうに なお おとると もうす ひと ほうぼうを のがるべしや.
大日経に 劣る 華厳経に 猶 劣ると 申す 人 謗法を 脱るべしや.

ひとは かわれども その ほうぼうの ぎ おなじかるべし.
人は かはれども 其の 謗法の 義 同じかるべし.

こうぼうの だいいちの みでし かきのもときの そうじょう.
弘法の 第一の 御弟子 か柿本木の 僧正.

こんじょうきと なりし これを もって しるべし.
紺青鬼と なりし これを もつて しるべし.

くうかい かいげ なくば あくどう うたがう べしとも おぼえず.
空海 悔改 なくば 悪道 疑う べしとも をぼへず.

その ながれを うけたる ひとびと また いかん.
其の 流を うけたる 人人 又 いかん.

とうて いわく ほっし ひとり この あくげんを はく いかん.
問うて 云わく 法師 一人 此の 悪言を はく 如何.

こたえて いわく にちれんは この ひとびとを なんずるには あらず.
答えて 云く 日蓮は 此の 人人を 難ずるには あらず.

ただ ふしん する ばかりなり.
但 不審 する 計りなり.

いかり おぼせば さで おわしませ.
怒り をぼせば さで をはしませ.

→a898

b899

げどうの ほうもんは いっせんねん 800ねん 5てんに はびこりて.
外道の 法門は 一千年 八百年 五天に はびこりて.

りんおう より ばんみん こうべを かたむけたり しかども.
輪王 より 万民 かうべを かたぶけたり しかども.

95しゅ ともに ほとけに やぶられたりき.
九十五種 共に 仏に やぶられたりき.

じょうろんしが じゃぎ 100よねん なりしも やぶれき.
摂論師が 邪義 百余年 なりしも やぶれき.

なんぼくの 300よねんの じゃぎも やぶれき.
南北の 三百余年の 邪見も やぶれき.

にほん 260よねんの 6しゅうの ぎも やぶれき.
日本 二百六十余年の 六宗の 義も やぶれき.

その うえ この ことは でんぎょうだいしの ある ふみの なかに やぶられて そうろうを もうすなり.
其の 上 此の 事は 伝教大師の 或 書の 中に やぶられて 候を 申すなり.

にほんこくは だいじょうに ごしゅう あり.
日本国は 大乗に 五宗 あり.

ほっそう さんろん けごん しんごん てんだい.
法相 三論 華厳 真言 天台.

しょうじょうに さんしゅう あり くしゃ じょうじつ りっしゅう なり.
小乗に 三宗 あり 倶舎 成実 律宗 なり.

しんごん けごん さんろん ほっそうは だいじょう より いでたりと いえども.
真言 華厳 三論 法相は 大乗 より いでたりと いへども.

くわしく ろんずれば みな しょうじょう なり.
くわしく 論ずれば 皆 小乗 なり.

しゅうと もうすは かい じょう えの さんがくを そなえたる ものなり.
宗と 申すは 戒・ 定・ 慧の 三学を 備へたる 物なり.

その なかに じょう えは さておきぬ.
其の 中に 定・ 慧は さてをきぬ.

かいを もって だいしょうの ぼうじを うちわかつ ものなり.
戒を もて 大小の ばうじを うちわかつ ものなり.

とうじの しんごん ほっそう さんろん けごんとうは かいだん なき ゆえに.
東寺の 真言 法相 三論 華厳 等は 戒壇 なき ゆへに.

とうだいじに いりて しょうじょう りっしゅうの ろにゅう しゅうふんの かいを たもつ.
東大寺に 入りて 小乗 律宗の 驢乳・ 臭糞の 戒を 持つ.

かいを もつて ろんぜば これらの しゅうは しょうじょうの しゅう なるべし.
戒を 用つて 論ぜば 此等の 宗は 小乗の 宗 なるべし.

ひえいざんには てんだいしゅう しんごんしゅうの 2しゅう.
比叡山には 天台宗 真言宗の 二宗.

でんぎょうだいし ならい つたえ たまいたり しかども.
伝教大師 習い つたへ 給いたり しかども.

てんだんえんとんの えんじょう えんね えんかいの かんだん たつべき.よし もうさ せたまいし ゆえに.
天台円頓の 円定・ 円慧・ 円戒の 戒壇 立つべきよし 申させ 給いし ゆへに.

てんだいしゅうに たいしては しんごんしゅうの な あるべからずと おぼして.
天台宗に 対しては 真言宗の 名 あるべからずと をぼして.

てんだいほっけしゅうの しかん しんごんと あそばして くげへ まいらせ たまいき.
天台法華宗の 止観・ 真言と あそばして 公家へ まいらせ 給いき.

でんぎょう より じかく たまわらせ たまいし せいかいの もんには.
伝教 より 慈覚 たまはらせ 給いし 誓戒の 文には.

てんだいほっけしゅうの しかん しんごんと ただしく のせられて.
天台法華宗の 止観 真言と 正く のせられて.

しんごんしゅうの なを けずられたり.
真言宗の 名を けづられたり.

てんだいほっけしゅうは ぶつりゅうしゅうと もうして ほとけ より たてられて そうろう.
天台法華宗は 仏立宗と 申して 仏 より 立てられて 候.

しんごんしゅうの しんごんは とうぶんの しゅう.
真言宗の 真言は 当分の 宗.

ろんし にんし はじめて しゅうの なを たてたり.
論師 人師 始めて 宗の 名を たてたり.

しかるを ことを だいにちにょらい みろくぼさつらに よせたる なり.
而るを 事を 大日如来 弥勒菩薩等に よせたる なり.

ほとけ ごぞんじの ぎょいは ただ ほけきょう いっしゅう なるべし.
仏 御存知の 御意は 但 法華経 一宗 なるべし.

しょうじょうには 2しゅう 18しゅう 20しゅう そうらえども.
小乗には 二宗 十八宗 二十宗 候へども.

ただ しょせんの りは むじょうの いちり なり.
但 所詮の 理は 無常の 一理 なり.

ほっそうしゅうは ゆいしんうきょう.
法相宗は 唯心有境.

だいじょうしゅう むりょうの しゅう ありとも.
大乗宗 無量の 宗 ありとも.

しょせんは ゆいしんうきょうとだに いわば ただ 1しゅう なり.
所詮は 唯心有境とだに いはば 但 一宗 なり.

さんろんしゅうは ゆいしんむきょう.
三論宗は 唯心無境.

むりょうの しゅう ありとも しょせん ゆいしんむきょう ならば ただ 1しゅう なり.
無量の 宗 ありとも 所詮 唯心無境 ならば 但 一宗 なり.

これは だいじょうの くうの いちぶんか.
此れは 大乗の 空有の 一分か.

けごんしゅう しんごんしゅう あがらば たんちゅう.
華厳宗 真言宗 上らば 但中.

くだらば だいじょうの くうう なるべし.
下らば 大乗の 空有 なるべし.

きょうもんの せっそうは なお けごん はんにゃにも およばず.
経文の 説相は 猶 華厳 般若にも 及ばず.

ただし よき ひとと おぼしき ひとびとの おおく しんじたる あいだ.
但し よき 人と をぼしき 人人の 多く 信じたる あいだ.

げじょを おうの あいするに にたり.
下女を 王の あいするに にたり.

だいにちきょう とうは げじょの ごとし りは たんちゅうに すぎず.
大日経 等は 下女の ごとし 理は 但中に すぎず.

ろんし にんしは おうの ごとし.
論師 人師は 王の ごとし.

ひとの あいするに よって いぼうが ある なるべし.
人の あいするに よて 威望が ある なるべし.

かみの もんどう とうは とうじは よ すえに なりて.
上の 問答 等は 当時は 世 すえに なりて.

ひとの ち あさく まんしん たかき ゆえに もちゆる ことは なくとも.
人の 智 浅く 慢心 高き ゆへに 用ゆる 事は なくとも.

しょうにん けんじん なんども いでたらん ときは しさいもや あらんずらん.
聖人 賢人 なんども 出でたらん 時は 子細もや あらんずらん.

ふびんに おもい まいらすれば めやすに ちゅうせり.
不便に をもひ まいらすれば 目安に 注せり.

おんひまには ならわせ たもうべし.
御ひまには ならはせ 給うべし.

これは だいじの ほうもん なり.
これは 大事の 法門 なり.

こくうぞうぼさつに まいりて つねに よみ たてまつらせ たもうべし.
こくうざう菩薩に まいりて つねに よみ 奉らせ 給うべし.

しょうみつぼうに これを つかわす.
聖密房に 之を 遣わす.

にちれん かおう.
日蓮 花押.

→a899

 
→a896
→c896
 ホームページトップ
inserted by FC2 system