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富木殿御書 (ときどの ごしょ)
別名、止暇断眠御書(しかだんみん ごしょ).
日蓮大 聖人 54歳 御作.

 

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ときどの ごしょ.
富木殿 御書.

けんじ がんねん 54さい おんさく.
建治 元年 五十四歳 御作.

あたう ときじょうにん.
与 富木常忍.

みょうほうれんげきょうの だい2に いわく.
妙法蓮華経の 第二に 云く.

「もし ひと しんぜずして この きょうを きぼう し.
「若し 人 信ぜずして 此の 経を 毀謗 し.

きょうを どくじゅし しょじ する こと あらん ものを みて きょうせん ぞうしつして けっこんを いだかん.
経を 読誦し 書持 する こと 有らん 者を 見て 軽賤 憎嫉して 結恨を 懐かん.

そのひと みょうじゅうして あびごくに いらん.
其人 命終して 阿鼻獄に 入らん.

ないし かくの ごとく てんでんして むしゅうこうに いたらん」.
乃至 是の 如く 展転して 無数劫に 至らん」.

だい7に いわく「せんごう あびごくに おいてす」.
第七に 云く「千劫 阿鼻獄に 於てす」.

だい3に いわく「3000じんてん」.
第三に 云く「三千塵点」.

だい6に いわく「500じんてんごう」とう うんぬん.
第六に 云く「五百塵点劫」等 云云、.

ねはんぎょうに いわく「あくぞうの ために ころされては さんあくに いたらず.
涅槃経に 云く「悪象の 為に 殺されては 三悪に 至らず.

あくゆうの ために ころされては かならず さんあくに いたる」とう うんぬん.
悪友の 為に 殺されては 必ず 三悪に 至る」等 云云、.

けんねぼさつの ほうしょうろんに いわく.
賢慧菩薩の 法性論に 云く.

「ぐにして しょうほうを しんぜず じゃけん および きょうまん なるは かこの ほうぼうの さわりなり.
「愚にして 正法を 信ぜず 邪見 及び きょう慢 なるは 過去の 謗法の 障りなり.

ふりょうぎに しゅうちゃくして くよう きょうけいに じゃくし.
不了義に 執着して 供養 恭敬に 著し.

ただ じゃほうを みて ぜんちしきに おんりして ほうぼうしゃの しょうじょうの ほうに ぎょうじゃく する.
唯 邪法を 見て 善知識に 遠離して 謗法者の 小乗の 法に 楽著 する.

かくの ごとき とうの しゅじょうに しんごんして だいじょうを しんぜず.
是の 如き 等の 衆生に 親近して 大乗を 信ぜず.

ゆえに しょぶつの ほうを ぼうず.
故に 諸仏の 法を 謗ず、.

ちしゃは おんけ じゃ ひ どく いんだら びゃくれき とうじょう.
智者は 怨家・ 蛇・ 火・ 毒・ 因陀羅・ 霹靂・ 刀杖.

もろもろの あくじゅう ころう ししなどを おそるべからず.
諸の 悪獣・ 虎狼・ 師子等を 畏るべからず、.

かれは ただ よく いのちを だんじて.
彼は 但 能く 命を 断じて.

ひとをして おそるべき あびごくに いらしむる こと あたわず.
人をして 畏るべき 阿鼻獄に 入らしむる こと 能わず、.

おそるべきは しんぽうを ぼうずると.
畏るべきは 深法を 謗ずると.

および ほうぼうの ちしきと なり.
及び 謗法の 知識と なり.

けつじょうして ひとをして おそるべき あびごくに いらしむ.
決定して 人をして 畏るべき 阿鼻獄に 入らしむ、.

あくちしきに ちかづきて あくしんにして ほとけの ちを いだし.
悪知識に 近づきて 悪心にして 仏の 血を 出だし.

および ふぼを さつがいし もろもろの しょうにんの いのちを だんじ.
及び 父母を 殺害し 諸の 聖人の 命を 断じ.

わごうそうを はかいし および もろもろの ぜんこんを だんずると いえども.
和合僧を 破壊し 及び 諸の 善根を 断ずると 雖も.

ねんを しょうほうに つなぐるを もって よく かの ところを げだつせん.
念を 正法に 繋ぐるを 以て 能く 彼の 処を 解脱せん、.

もし また よにん あって じんじんの ほうを ひぼう せば.
若し 復 余人 有つて 甚深の 法を 誹謗 せば.

かの ひと むりょうこうにも げだつを うべからず.
彼の 人 無量劫にも 解脱を 得べからず、.

もし ひと しゅじょうをして かくの ごときの ほうを かくしん せしめば.
若し 人 衆生をして 是の 如きの 法を 覚信 せしめば.

かれは これ わが ふぼ また これ ぜんちしき なり.
彼は 是 我が 父母 亦 是れ 善知識 なり、.

かの ひとは これ ちしゃ なり.
彼の 人は 是 智者 なり.

にょらいの めつごに じゃけん てんどうを めぐらして せいどうに いらしむるを もっての ゆえに.
如来の 滅後に 邪見 顛倒を 廻して 正道に 入らしむるを 以ての 故に.

さんぽうしょうじょうの しん ぼだい どくの ごう なり」とう うんぬん.
三宝清浄の 信・ 菩提 功徳の 業 なり」等 云云、.

りゅうじゅぼさつの ぼだいしりょうろんに いわく.
竜樹菩薩の 菩提資糧論に 云く.

「5むけんの ごうを とき たもう.
「五無間の 業を 説き たもう.

ないし もし みげの じんぽうに おいて しゅうちゃくを おこせるは.
乃至 若し 未解の 深法に 於て 執着を 起せるは.

かの まえの 5むけんとうの ざいじゅに これを ひするに ひゃくぶんに しても およばず」うんぬん.
彼の 前の 五無間等の 罪聚に 之を 比するに 百分に しても 及ばず」云云。.

それ けんじんは やすきに いて あやうきを なげき.
夫れ 賢人は 安きに 居て 危きを 歎き.

ねいじんは あやうきに いて やすきを なげく.
佞人は 危きに 居て 安きを 歎く.

だいかは しょうすいを いふし だいじゅは ことりに あいて えだを おらる.
大火は 小水を 畏怖し 大樹は 小鳥に 値いて 枝を 折らる.

ちじんは くふ すべし だいじょうを ぼうずる ゆえに.
智人は 恐怖 すべし 大乗を 謗ずる 故に、.

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てんじんぼさつは したを きらんと いい めみょうぼさつは こうべを はねんと ねがい.
天親菩薩は 舌を 切らんと 云い 馬鳴菩薩は 頭を 刎ねんと 願い.

きちぞうだいしは みを にくきょうと なし げんじょうさんぞうは これを れいちに うらない.
吉蔵大師は 身を 肉橋と 為し 玄奘三蔵は 此れを 霊地に 占い.

ふくうさんぞうは うたがいを てんじくに けっし でんぎょうだいしは これを いいきに とむ.
不空三蔵は 疑いを 天竺に 決し 伝教大師は 此れを 異域に 求む.

みな かみに あぐる ところは きょうろんを しゅごする ゆえか.
皆 上に 挙ぐる 所は 経論を 守護する 故か。.

いま にほんこくの 8しゅう ならびに じょうど ぜんしゅう とうの ししゅう かみ しゅじょう.
今 日本国の 八宗 並びに 浄土・ 禅宗 等の 四衆 上 主上・.

じょうこう より しも しんか ばんみんに いたるまで みな ひとりも なく.
上皇 より 下 臣下 万民に 至るまで 皆 一人も 無く.

こうぼう じかく ちしょうの 3だいしの まっそん だんのつ なり.
弘法・ 慈覚・ 智証の 三大師の 末孫・ 檀越 なり、.

えんにん じかくだいし いわく「ゆえに かれと ことなり」.
円仁・ 慈覚大師 云く「故に 彼と 異り」.

えんちん ちしょうだいし いわく.
円珍・ 智証大師 云く.

けごん ほっけを だいにちきょうに のぞむれば けろんと なす」.
「華厳・ 法華を 大日経に 望むれば 戯論と 為す」.

くうかい こうぼうだいし いわく.
空海 弘法大師 云く.

「のちに のぞむれば けろんと なす」とう うんぬん.
「後に 望むれば 戯論と 為す」等 云云、.

この 3だいしの こころは ほけきょうは いこんとうの しょきょうの なかの だい1 なり.
此の 三大師の 意は 法華経は 已・ 今・ 当の 諸経の 中の 第一 なり.

しかりと いえども だいにちきょうに そうたい すれば けろんの ほうなり とう うんぬん.
然りと 雖も 大日経に 相対 すれば 戯論の 法 なり 等 云云、.

この ぎ こころ あらん ひと しんを とる べきや いなや.
此の 義 心 有らん 人 信を 取る 可きや 不や。.

いま にほんこくの しょにん あくぞう あくば あくぎゅう あっく あくじゃ あくせき.
今 日本国の 諸人・ 悪象・ 悪馬・ 悪牛・ 悪狗・ 毒蛇・ 悪刺・.

けいがん けんがい ぼうすい あくにん あっこく あくじょう あくしゃあくさい あくし あくしょじゅう とう よりも.
懸岸・ 険崖・ 暴水・ 悪人・ 悪国・ 悪城・ 悪舎・ 悪妻・ 悪子・悪所従 等 よりも.

これに ちょうかし もって くふ すべき こと ひゃくまんおくばい なれば じかい じゃけんの こうそうら なり.
此に 超過し 以て 恐怖 すべき こと 百千万億倍 なれば 持戒・ 邪見の 高僧等 なり、.

とうて いわく かみに あぐる ところの 3だいしを ほうぼうと うたがうか.
問うて 云く 上に 挙ぐる 所の 三大師を 謗法と 疑うか.

えいざん だい2の えんちょうじゃっこうだいし べっとうこうじょうだいし あんねだいぎょうだいし.
叡山 第二の 円澄寂光大師・ 別当光定大師・ 安慧大楽大師・.

えりょうわしょう あんねんわじょう じょうかんそうず.
慧亮和尚・ 安然和上・ 浄観僧都・.

だんなそうじょう えしんせんとく これらの すう100にん.
檀那僧正・ 慧心先徳・ 此等の 数百人、.

こうぼうの みでし じつえ しんさい しんがらの すう100にん.
弘法の 御弟子 実慧・ 真済・ 真雅等の 数百人.

ならびに 8しゅう 10しゅう とうの だいしせんとく.
並びに 八宗・ 十宗 等の 大師先徳・.

ひと ひと つきと つきと ほしと ほしと ならびに いでたるが ごとし.
日と 日と・ 月と 月と・ 星と 星と・ 並びに 出でたるが 如し、.

すでに 400よねんを けいれき するに これらの ひとびと ひとりとして この ぎを うたがわず.
既に 四百余年を 経歴 するに 此等の 人人 一人として 此の 義を 疑わず.

なんじ いかなる ちを もって これを なんずるや うんぬん.
汝 何なる 智を 以て 之を 難ずるや 云云。.

これらの こころを もって これを あんずるに.
此等の 意を 以て 之を 案ずるに.

わが もんかは よるは ねむりを たち ひるは いとまを とどめて これをあんぜよ.
我が 門家は 夜は 眠りを 断ち 昼は 暇を 止めて 之を 案ぜよ.

いっしょう むなしく すごして ばんさい くゆること なかれ.
一生 空しく 過して 万歳 悔ゆること 勿れ、.

きょうきょう きんげん.
恐恐 謹言。.

8がつ 23にち にちれん かおう.
八月 二十三日 日蓮 花押.

とき どの.
富木 殿.

がもく 1ゆい たび そうらい おわんぬ.
鵞目 一結 給び 候 畢んぬ、.

こころざし あらん しょにんは いっしょに じゅしゅうして ごちょうもん あるべきか.
志 有らん 諸人は 一処に 聚集して 御聴聞 有るべきか。.

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