c
1153.
頼基陳状 (よりもと ちんじょう) 背景と大意.

 
 
a
けんじ 3ねん(1277ねん)、6がつ 25にち、にちれんだいしょうにん 56さいの おんとき、しじょうきんごの しゅくんの えましの いかりを とくために かわって えんざいを うったえた りんじょう(とうべんしょ)。
きょうと から きた りゅうぞうぼうに たいし だいしょうにん もんかの さんみぼうが もんどうを おこない、てっていてきに はしゃく した。その ほうろんの ばに しじょうきんごが どうせき していた。
りゅうぞうぼうらは えましに たいし、きんご(よりもと)が ととうを くみ、ほうざを みだしたと ざんげん した。
この ことに えましは げきどし、きんごに きつもんの しょを おくった。
ほんしょうは、その へんとうしょで ある。
ないようは、きつもんしょの ないようは つくりばなしで ある ことから しんそうきゅうめいを ようきゅうされ、また りょうかんと りゅうぞうぼうを きびしく ひはんされ、えましの あやまりを ただされて いる。
さらに しゅくんの ふぎは しんみょうを すてて いましめ なければ ならない ことを かくしゅの きょうもんを ひいいて のべられて いる。
また、しじょうけの ふし にだいの ちゅうせいを ひれき されている。



b
建治3年(1277年)6月25日、日蓮大聖人56歳の御時、四条金吾の主君の江間氏の怒りを解くために代わって冤罪を訴えた陳状(答弁書)。
京都から来た竜象房に対し大聖人門下の三位房(さんみぼう)が問答を行ない、徹底的に破折した。その法論の場に四条金吾が同席していた。
竜象房らは江間氏に対し、金吾(頼基)が徒党を組み、法座を乱したと讒言した。
このことに江間氏は激怒し、金吾に詰問の書を送った。
本抄は、その返答書である。
内容は、詰問書の内容は作り話であることから真相究明を要求され、また良観と竜象房を厳しく批判され、江間氏の誤りを正されている。
さらに主君の不義は身命を捨てて諌めなければならないことを各種の経文を引いて述べられている。また、四条家の父子二代の忠誠を披歴されいる。

 
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