c
1163.
四条金吾殿御返事 (別名 不可惜所領事) 背景と大意.

 
 
a
けんじ 3ねん (1277ねん) 7がつ、にちれんだいしょうにん 56さいの おんとき、えましに ほけきょうの しんこうを すてることを きょうようされた しじょうきんごに あたえられた ごしょである。
きんごが「ととうを くみ ひょうじょうを たいして ほうざを みだした」との ざんげんを きいた えましが、ほけきょうしんこうを すてるよう きつもんじょうを きんごに くだした。
きんごは たとえ しょりょうを ぼっしゅう されても きしょうもんは かかないとの けついを だいしょうにんに ほうこくした。
だいしょうにんは その ふしゃくしんみょうの かくごを よろこばれ、しゅくんに ちんじょうを ていしゅつする さいの ようじん、こころがまえに ついて しょうさいな しじを あたえられている。ほんしょうの べつめいの ゆらいは、しょりょうを おしまない きんごの けついから「ふかしゃく しょりょうの こと」と よばれる。

いかに、ほんしょうの ごもんを しめす。
「いっしょうは ゆめの うえ あすを ごせず」
「いかなる こつじきには なるとも ほけきょうに きずを つけ たまう べからず」
「わざわいの さちは これなり」
「さわぎが だいなる さちと なるなり」
「きたなき しに すべからず」



b
健治3年(1277年)7月、日蓮大聖人 56歳の御時、江間氏に法華経の信仰を捨てることを強要された四条金吾に与えられた御書である。
金吾が「徒党を組み兵仗を帯して法座に乱入した」との讒言を聞いた江間氏が、法華経信仰を捨てるよう 詰問状を金吾に下した。
金吾はたとえ所領を没収されても起請文は書かないとの決意を大聖人に報告した。
大聖人はその不惜身命の覚悟を喜ばれ、主君の詰問状に対する陳状を提出する際の用心、心構えについて詳細な指示を与えられている。
本抄の別名の由来は、所領を惜しまない金吾の決意から、「不可惜所領事」と呼ばれる。

以下に、本抄の御文を示す。
「一生は ゆめの 上 明日を ごせず」
「いかなる 乞食になるとも 法華経に きずを つけ 給うべからず」
「わざはひの 幸は これなり」
「さはぎが 大なる 幸と なるなり」
「きたなき しに すべからず」

 
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