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崇峻天皇御書(すしゅんてんのうごしょ) 背景と大意

 
 
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けんじ 3ねん (1277ねん) 9がつ 11にち、にちれんだいしょうにん 56さいの おんとき、みのぶから しじょうきんごに あたえられた ごしょ。
しじょうきんごは えましから しょりょうを ぼっしゅうされる じたいと なったが、えましが えきびょうに かかり、いじゅつの こころえの あった きんごが ふたたび えましに もちいられるようになった。
そのため、しゅういの ものの ねたみを かい、みの きけんに さらされていた。

ほんしょうの ないようは、すしゅんてんのうの ものがたりを ひかれ、きんごに しどうされているもので、たんきの せいかくである きんごに さいしんのちゅういを はらって みを まもり、いかりを つつしむよう いましめられている。
(すしゅんてんのうは、そがのうまこの けんりょくが きょうだいなため ころそうと くわだてたが、ぎゃくに うまこのはいか・あずまのあや あたいごまに ころされてしまった)
また ほんしょうでは、けんじんの れいを ひかれ、ぶっぽうは にんげんとしてのこうどうを おしえるもので、いやしくも ぶっぽうを しゅぎょうするものは じこの せいかつにおいて りっぱな ふるまいを しなければならないと ごきょうじされている。

いかに ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを しめす。

「とのは いちじょう はら あしき そう かおに あらわれたり いかに だいじと おもえども はら あしき ものをば てんは まもらせ たまわぬと しらせ たまえ」
じんしんは うけがたし つめの うえの つち じんしんは たもちがたし くさの うえの つゆ、
120まで たもちて なを くたして しせんよりは いきて 1にち なりとも なを あげん ことこそ たいせつなれ」
「くらの たからよりも みの たから すぐれたり みの たから より こころの たから だいいち なり」
「いちだいの かんじんは ほけきょう ほけきょうの かんじんは ふきょうぼんにて そうろうなり(中略)きょうしゅしゃくそんの しゅっせの ほんかいは ひとの ふるまいにて そうらいけるぞ」



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建治3年(1277年)9月11日、日蓮大聖人 56歳の御時、身延から四条金吾に与えられた御書。
四条金吾は、江間氏から所領を没収される事態となったが、江間氏が疫病にかかり、医術の心得のあった金吾が再び江間氏に用いられるようになった。そのため、周囲の者の妬みをかい、身の危険にさらされていた。

本抄の内容は、崇峻天皇の物語を引かれ、金吾に指導されているもので、短気の性格である金吾に細心の注意をはらって身を護り、怒りを慎ぬよう戒められている。
(崇峻天皇は、蘇我馬子の権力が強大なため殺そうとしたが、逆に馬子の配下・東漢直駒(あずまのあやあたいごま)に殺されてしまった)
また、賢人の例を引かれ、仏法は人間としての行動を教えるもので、いやしくも仏法を修行する者は自己の生活において立派な振る舞いをしなければならないと教示されている。

以下に、本抄の特徴的な御文を示す。

「殿は 一定 腹 あしき 相 かをに顕れたり、いかに大事と 思へども 腹 あしき者をば 天は 守らせ給はぬと 知らせ給へ」
「人身は受けがたし 爪の上の土 人身は 持ちがたし 草の上の露、.百二十まで 持ちて 名を くたして 死せんよりは 生きて 一日なりとも 名をあげん事こそ 大切なれ」
「蔵の財よりも 身の財 すぐれたり 身の財より 心の財 第一なり」
「一代の 肝心は法華経 法華経の修行の肝心は 不軽品にて候なり、(中略)教主釈尊の 出世の本懐は 人の振舞にて 候けるぞ」

 
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