c
1487.
三沢抄 (みさわしょう) 背景と大意.

 
 
a
けんじ 4ねん(1278ねん)2がつ 23にち、にちれんだいしょうにん 57さいの おんとき、みさわこじろうに あたえられた ごしょ
するがのくに(しずおかけん)の しんとで あったが しょうさいは あきらか でない。
みさわしょうの きじゅつから、しょりょうを ゆうしていた りょうしゅで あることが うかがえる。
ほんしょうでは、ぶっぽうを がくする ことの むずかしさが とかれている。
たとえ しょうほうに めぐりあって ならうことが できても、ぶつどうを じょうじゅ する さいには さんしょうしまが ふんぜんと きそい おこる。
ほけきょうの みらいきの とおり、だいなんを うけきったのは だいしょうにん おひとりで あり、ほけきょうの ぎょうじゃと しての かくしんを のべられて いる。
さいごに しんごんが ぼうこくの ほうで あることを のべられて むすばれて いる。



b
建治4年(1278年)2月23日、日蓮大聖人57歳の御時、三沢小次郎に与えられた御書。
駿河国(静岡県)の信徒であったが詳細は明らかでない。
三沢抄の記述から、所領を有していた領主であることがうかがえる。
本抄では、仏法を学することの難しさが説かれている。
たとえ正法にあって習うことができても、仏道を成就する際には三障四魔が紛然と競い起こる。
法華経の未来記のとおりに大難を受け切ったのは大聖人御一人であり、法華経の行者としての確信を述べられている。
最後に真言が亡国の法であることを述べて結ばれている。

 
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