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1580.
上野尼御前御返事、別名、烏竜遺竜事 (おりょう いりょうの こと) 背景と大意.

 
 
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こうあん 4ねん (1281ねん)11がつ 15にち 、にちれんだいしょうにん 60さいの おんとき、なんじょうときみつの はは うえのあまごぜんに あたえられた ごしょ。
ほけきょうは はなと みを どうじに つける れんげと おなじく、そくしんじょうぶつの ほうもんで あることを しめされ、おりょうと いりょうの ふしの こじをひかれ、この ぜんこんが おやをも じょうぶつ させると とかれている。
うえのどのごぜんの じゅんしんな しんじんが、なき ちちの じょうぶつを させる いんに なることを おしえられている。

おりょうと いりょうとは、ちゅうごく こだいの ゆうめいな しょけで おやこである。
ちちの おりょうは ぶっきょうを きらい、ぶってんの しょしゃを しなかった。
おりょうは しに さいし、むすこの いりょうに「ぶってんを しょしゃ しては ならない」と ゆいごんした。
ちちは しして むけんじごくに おちたが、むすこの いりょうは そのことを しらない。
むすこは ゆいごんを まもり ぶってんの しょしゃを しなかったが、りょうしゅである しばしの ようせいに くっし、やむなく ゆいごんに いはんして ほけきょう8かんの だいごう 64もじを かいた。
いりょうは このことを くい、ちの なみだを ながし、ちちの ぼぜんで ちんしゃする。
その いりょうの ゆめに、ちちの おりょうが しゅつげんして かたり かける。
「なんじ はかなし なんじが ては わがて なり なんじが みは わが み なり  
なんじが かきし じは わが かきし じ なり  
なんじ こころに しんぜざれども てに かく ゆえに すでに たすかりぬ」
むすこの てで かかれた ほけきょうの 64もじの だいごうが ちちを すくったという こじ である。



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弘安4年(1281年)11月15日、日蓮大聖人 60歳の御時、南条時光の母 上野尼御前に与えられた御書。
法華経は花と実を同時につける蓮華と同じく、即身成仏の法門であることを示され、烏竜(おりょう)と遺竜(いりょう)の父子の故事を引かれ、子の善根が親をも成仏させると説かれている。
上野尼御前の純真な信心が、亡き父の成仏をさせる因となることを教えられている。

烏竜と遺竜とは、中国古代の有名な書家で親子である。
父の烏竜は、仏教を嫌い、仏典の書写をしなかった。烏竜は死に際し、息子の遺竜(いりょう)に、「仏典を書写してはならない」と遺言した。
父は、死して無間地獄に堕ちたが、息子の遺竜はそのことを知らない。息子は、父の遺言を守り、仏典の書写をしなかったが、最終的に、領主である司馬氏の要請に屈し、やむなく遺言に違犯して法華経八巻の題号64文字を書いた。
遺竜はこのことを悔い、血の涙を流し、父の墓前で陳謝する。
その遺竜の夢に、父の烏竜が出現して語りかける。
「汝が手は 我が手なり 汝が身は 我が身なり 汝が書きし字は 我が書きし字なり 汝心に信ぜざれども 手に書く故に 既に たすかりぬ」
息子の手で書かれた法華経の64文字の題号が、父を救ったという古事である。

 
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