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238.
如来滅後五五百歳始観心本尊抄
(にょらいめつご ご ごひゃくさいに はじむ かんじんの ほんぞんしょう) 背景と大意.

 
 
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ぶんえい 10ねん (1273ねん) 4がつ 25にち、にちれんだいしょうにん 52さいの おんとき、ときじょうにんに あたえられた ごしょ。
かいもくしょうが にんほんぞん かいけんの しょで あるのに たいし、かんじんの ほんぞんしょうは ほうほん ぞんかいけんの しょで ある。
まつぽうに おいては にちれんだいしょうにんが あらわされた まつぽうの ほんぞんを しんじて、なんみょうほうれんげきょうと となえる ことに つきるとして、じゅじそくかんじんの ぎを あかされ、だいしょうにんが まつぽうの いっさいしゅじょうに しんじゅ せしめることが あかされている
いかに、ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを しめす。
「いちえんぶだい だい1の ほんぞん このくにに たつべし  
がっし しんたんに いまだ この ほんぞん ましまさず」
「てん はれぬれば ち あきらかなり ほっけを しるものは せほうを うべきか  
いちねんさんぜんを しらざる ものには ほとけ だいじひを おこし 
5じの うちに この たまを つつみ まつだい ようちの くびに かけさしめ たまう」



b
文永10年(1273年)4月25日、日蓮大聖人 52歳の御時、富木常忍に与えられた御書。
開目抄が人本尊開顕の書であるのに対し、観心本尊抄は法本尊開顕の書である。
末法においては日蓮大聖人が顕された末法の本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱えることに尽きるとして、受持即観心の義を明かされ、大聖人が末法の一切衆生に信受せしめることが明かされている。

以下に、本抄の特徴的な御文を示す。
「一閻浮提 第一の 本尊 此の国に 立つ可し 月支 震旦に 未だ 此の 本尊 有さず」
「天 晴れぬれば 地 明かなり 法華を 識る者は 世法を 得可きか 
一念三千を 識らざる 者には 仏・ 大慈悲を 起し 
五字の 内に 此の 珠を 裹み 末代 幼稚の 頚に 懸けさしめ 給う」

 
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