c
474.
聖愚問答抄 上下 (しょうぐもんどうしょう じょうげ) 背景と大意.

 
 
a
じょうげ にかん。
ぶんえい 2ねん(1265ねん)、にちれんだいしょうにん 44さいの おんときの ごじゅっさく。
しょうにんと ぐしゃとの もんどうを もって、ぐしゃが ほっけいちじょうに きする しだいを のべ、 ごんじつそうたいを あかしている。
じょうかんでは りっしゅう、 じょうどしゅう、 しんごんしゅう、 ぜんしゅう とうの しゅちょうを とくものが、 ぐしゃに たいして じしゅうの しんこうを すすめる。
ぐしゃは、 どれが ぜか ひかと まよい、 はたして しんじつの ほうは なんであろうかと ほけきょうの しょうにんを たずねる。
しょうにんは ほけきょう こそ さいだいいちの ほうで あることを あかす。
げかんでは、 ぜんしゅうの きょうぎを あげて はしゃくされ、 ぐしゃは しんじつを しるが 「せんぞ からの しゅうきょうを すてるのは ふちゅう、 ふこう ではないか、 また しょうだいの しゅぎょうが あまりにも かんたんで あり、 ほんとうで あろうかと ぎもんを おこす。
たいして しょうにんは、 しんじつの ちゅうぎ、 こうようを おしえ、 みょうほう5じの くどくを のべる。
さいしゅうてきに ぐしゃは しょうにんに きえし、 しんじんを しょうじん することを ちかう。



b
上下二巻。
文永2年(1265年)、日蓮大聖人44歳の御時の御述作。
聖人と愚者との問答をもって、愚者が法華一乗に帰する次第を述べ、権実相対を明かしている。
上巻では律宗、浄土宗、真言宗、禅宗等の主張を説く者が、愚者に対して自宗の信仰を勧める。
愚者は、どれが是か非かと迷い、果たして真実の法は何であろうかと法華経の聖人を訪ねる。
聖人は法華経こそ最大一の法であることを明かす。
下巻では、禅の教義を挙げて破折され、愚者は真実を知るが、「先祖からの宗教を捨てるのは不忠、不孝ではないか、また唱題の修業があまりにも簡単であり、本当であろうかと疑問を起こす。
対して聖人は、真実の忠義、孝養を教え、妙法五字の功徳を述べる。
最終的に愚者は聖人に帰依し、信心を精進することを誓う。

 
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