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536.
顕立正意抄 (けんりつ しょうい しょう) 背景と大意

 
 
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ぶんえい 11ねん (1274ねん) 12がつ、にちれんだいしょうにん 53さいの おんとき、みのぶで ごじゅつさくの しょ。
どうねん 3がつ、さど るざいから かまくらに かえられた だいしょうにんは、へいのさえもんのじょうに「しょうほうに きさなければ ことしじゅうに もうこの しゅうらいがある」と だんげんされた。(さんどめの こっかかんぎょう)
ばくふは これを もちいなかったため だいしょうにんは みのぶに にゅうざん された。
どうねん 10がつ、だいしょうにんの よげんが てきちゅうし、もうこの たいぐんが しゅうらい、いき・ つしまが うちとられ、だざいふも やぶられたが、あらしの ために もうこぐんは うみにしずんだ。
ほんしょうは その ちょくごの ごしょで ある。
だいごうは「りっしょうあんこくの いみを あらわす」との いみ。
はじめに りっしょうあんこくろんの ごもんを ひかれ、じかいほんぎゃくなん・ たこくしんぴつなんが げんぜんと おこったことを のべられ、ほとけの よげんは ことごとく てきちゅう するのだから、じゃほうに まよう にほんこくの じょうげばんにんは むけんじごくに おちる ことは うたがいないと のべられている。
また、だいしょうにんの ぶっぽうを しんずるものも、しんじんが よわいものは りんじゅうの とき あびじごくの そうを げんじるで あろうとし、ふしゃくしんみょうの しんじんを つらぬくよう、きびしく しどう されている。



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文永 11年(1274年)12月、日蓮大聖人 54歳の御時、身延で御述作の書。
同年3月、佐渡流罪から鎌倉に帰られた大聖人は、平左衛門尉に「正法に帰さなければ今年中に蒙古の襲来がある」と断言された。(三度目の国家諌暁)
幕府はこれを用いなかったため大聖人は身延に入山された。
同年10月、大聖人の予言が的中し、蒙古の大軍が来襲、壱岐・対馬が打ち取られ、大宰府も破られたが、嵐のために蒙古軍は海に沈んだ。
本抄は、その直後の御書である。
題号は「立正安国の意味を顕す」との意味。
初めに立正安国論の御文を引かれ、自界叛逆難・他国侵逼難が厳然と起ったことを述べられ、仏の予言はことごとく的中するのだから、邪法に迷う日本国の上下万人は無間地獄に堕ちることは疑いないと述べられている。
また、大聖人の仏法を信ずる者も、信心が弱い者は臨終のと、阿鼻地獄の相を現ずるであろうとし、不惜身命の信心を貫くよう厳しく指導されている。

 
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