c186.
開目抄(上・下) 背景と大意.

 
 
a
ぶんえい9ねん(1272ねん) 2がつ、にちれんだいしょうにん 51さいの おんとき、さどるざいちゅうに もんかいちどうに あたえられた しょ。
ほうほんぞん かいけんの しょが かんじんのほんぞんしょうで あるのにたいし、かいもくしょうは にんほんぞん かいけんの しょ である。

にちれんだいしょうにんは、ぜんねんの ぶんえい8ねん9がつ12にちに たつのくちのほうなん、ついで どうねん10がつに さどにるざいにされたが、このことで ほけきょうに しるされている なんの すべてをうけられ、ほっしゃくけんぽんされたうえで、この かいもくしょうを ごじゅつさくなされた。

だいしょうにんは ほんしょうの いぎを つぎのように のべられている。

「にちれんと いいし ものは こぞ 9がつ 12にち ねうしの ときに くび はねられぬ、これは こんぱく さどの くにに いたりて かえるとしの 2がつ せっちゅうに しるして うえんの でしへ おくれば おそろしくて おそろしからず」
「これは しゃか たほう じっぽうのしょぶつの みらい にほんこく とうせいを つしたまう みょうきょう なり かたみとも みるべし」
「にちれんは にほんこくの しょにんに しゅうし ふぼ なり」

すなわち、ほんしょうは、ゆいごんてきに しめされた しょであり、かつ だいしょうにん ごじしんが じゅりょうもんていの しゅししんのさんとくを そなえた まっぽうの ごほんぶつであることを あかされた じゅうしょである。

いかに、ほんしょうの とくちょうてきな ごもんを しめす。

「これを 1ごんも もうし いだすならば ふぼ きょうだい ししょうに こくしゅの おうなん かならずきたるべし、
いわずば じひなきに にたりと しゆいするに ほけきょう ねはんぎょうに この2へんを あわせ みるに、いわずば こんじょうは ことなくとも ごしょうは かならず むけんじごくに おつべし、いうならば さんしょうしま かならず きそいおこるべしと しりぬ、2へんの うちには いうべし」
「せんずるところは てんも すてたまえ しょなんにもあえ しんみょうを ごとせん」
「われ にほんの はしらとならん われ にほんのがんもくと ならん われ にほんのたいせんと ならんとうと ちかいしねがい やぶるべからず」
「われ ならびに わがでし しょなん ありとも うたがう こころなくば じねんに ぶっかいにいたるべし」
「ほけきょうの ゆえなれば はじ ならず ぐにんに ほめられたるは だい1の はじ なり」
「ぶっぽうは ときに よるべし にちれんが るざいは こんじょうの しょうくなれば なげかしからず ごしょうには だいらくを うくべければ おおいに よろこばし」

かいもくしょう じょうかんの ひらがな訳は、→ここをクリック!
かいもくしょう げかんの ひがらな訳は、→ここをクリック!



b
文永9年(1272年)2月、日蓮大聖人 51歳の御時、佐渡流罪中に門下一同に与えられた書。
上下二巻。門下の中でも、特に四条金吾に与えられた。
法本尊開顕の書が観心本尊抄であるのに対し、開目抄は人本尊開顕の書である。

日蓮大聖人は、前年の文永8年9月12日に竜の口の法難、ついで同年10月に佐渡に配流せられたが、このことで、法華経に記されている難の全てを受けられ、発迹顕本された上で、この開目抄を御述作なされた。

大聖人は本抄の意義を、次のように述べられている。

「日蓮といゐし者は 去年 九月 十二日 子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄 佐土の国にいたりて 返年の二月 雪中にしるして 有縁の弟子へをくれば をそろしくて をそろしからず」
「此れは 釈迦 多宝 十方の諸仏の 未来 日本国 当世をうつし給う 明鏡なり かたみとも みるべし」
「日蓮は 日本国の諸人に しうし 父母なり」

すなわち、本抄は、遺言的に示された書であり、かつ、大聖人御自身が寿量文底の主師親の三徳を具えた末法の御本仏であることを明らかにされた重書である。

以下に、本抄の特徴的な御文を示す。

「これを一言も 申し出すならば 父母 兄弟 師匠に 国主の王難必ず来るべし、.いはずば 慈悲なきに にたりと 思惟するに. 法華経 涅槃経等に 此の二辺を合せ見るに いはずば 今生は事なくとも 後生は必ず 無間地獄に堕べし、.いうならば三障四魔 必ず競い起るべしと しりぬ、.二辺の 中には いうべし」
「詮ずるところは 天もすて給え 諸難にもあえ 身命を期とせん」
「大願を立てん 日本国の位を ゆづらむ、法華経をすてて 観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん 念仏申さずば、なんどの種種の大難 出来すとも 智者に我義やぶられずば 用いじとなり、其の外の大難 風の前の塵なるべし」
「我 日本の柱とならむ 我 日本の眼目とならむ 我 日本の大船とならむ等と ちかいし願 やぶるべからず」
「我 並びに 我が弟子 諸難ありとも 疑う心なくば 自然に仏界にいたるべし」
「法華経の ゆへなれば はぢならず 愚人にほめられたるは 第一のはぢなり」
「日蓮が 流罪は 今生の小苦なれば なげかしからず、後生には大楽を うくべければ 大に 悦ばし」

開目抄(かいもくしょう)上巻の交互文は、→ここをクリック!
開目抄(かいもくしょう)下巻の交互文は、→ここをクリック!

 
 →a186  →a210
 →b186  →b210
 ホームページトップ
inserted by FC2 system